金砂神社磯出大祭礼-4「十二丁田弓弦神事」
2003年3月27日★昨日、一昨日と帰宅してすぐ寝てしまったんで、2日遅れの日記です(@3/29)。(^^;
★午後から休みを取って、金砂神社大祭礼「十二丁田んぼの弓弦の神事」を観に行く。日立電鉄・常陸岡田駅を降りると私と同じく「弓弦神事」を観に行こうとする人が数人。その人達と一緒に神事が行われるとおぼしき場所に来ると、東金砂神社の行列の到着予定時刻より2時間半も前なのに、既に何人もの人が待機してました。この「弓弦神事」、磯出大祭礼では「石名坂の榎」と並んで貴重な神事で、どちらも西・東金砂神社それぞれ1回しかやらない神事なので、見逃すと72年後までないんですね。「石名坂の榎」の方は72年間育てた榎の切り株に神輿を乗せるというもので、神輿の形こそ違えど、西か東のどちらかを観ておけば取り敢えずよさそうなものですが、「弓弦神事」の方は3日前の西金砂神社の行列では「やらなかった」そうなので、今日の東金砂神社の行列に否が応でも期待が集まるというもので。
待機している間に、回りの人々に話を聞く。郷土史をかなり研究している人も居て、その人曰く、西金砂神社が神事を取り止めたのはおかしいと。この神事は、「十二丁田んぼ」と呼ばれる場所に行列が差しかかった時に、真弓山に向かって武者が十二張の弓弦を鳴らして矢を射る真似をするというもので、西金砂神社曰く「(真弓山の)神様に矢を向ける訳にはいかない」とのこと。しかしながらこの神事、本来は金砂神社が真弓山の神を招くもので、弓を射るのは敵対ではなく、太陽と月に向かって祭りの加護を祈願する意味があるんだそうです。ただ、今の時代にそういう解説をしたところで分かって貰えない可能性の方が高いということで、東金砂の方もやらないんじゃないか?などと悲観的な予想がちらほら。
この真弓山と金砂神社との関係ですが、昔は東・西金砂神社と真弓神社が一緒に水木浜に向かっていたそうです。その頃は太田八幡から岡田十二丁を通って真弓に向かい、そこで田楽を奉納していたのだとか。今でも地名に残っているそうです。行列はその後、世矢、大森、丹奈と山側を経由して石名坂に向かっていたそうで。その頃の川中子付近は葦原だったそうな。この関係が変化したのが徳川の政権になってから。真弓神社は鹿島神社と縁が深いそうで、金砂神社と真弓神社の切り離しは佐竹氏のカラーを払拭するための徳川の宗教政策だったのだとか。この辺、詳細はよく分かりません。(^^;
郷土史研究家の話はまだ続いていて、常陸太田市・藤田祭場の話になる。ここは自主的に歓迎の幟を出すぐらい熱心なところで、伝統を守りつつ、女性参画など従来のしきたりだけに囚われない主張をしているそうで、マスコミが取り上げるならばそういう本質的な内容を取り上げてくれとのこと。祭りの本質を全く知ろうとせず、ただ絵的に派手なものばかりを表面的に放送するだけなら何の意味もないと。それ、私も大いにそう思います。
因みに昨日の水木浜での「汐汲みの神事」ですが、マスコミ連中の中でNHKのとある人間だけがたまたま気付いただけであとは反応も無かったのだとか。で、たまたま気付いたNHKが何をやったのかというと、『思いっきりサーチライトを点けた』んだそうで、祭事の方々に思い切り怒鳴られたそうです。そりゃそうでしょう。TBSの傍若無人な騒音ヘリもそうですけど、テレビ屋って自分たちの映像のためなら神事をぶち壊しにしてもいいと思ってるんでしょうかね? それとも自分たちにはその権利があると思い込んでる? もしそうなら…脳の検査した方がいいな。実際、「十二丁田んぼ」に集まった人々からも口々に「マスコミが鬱陶しい」という批判の声が...。個人的にはNHKと朝日新聞の態度が特に酷く感じましたが。
それはともかく、15時半過ぎに行列到着。てっきり小行列かと思っていたんですが、随分と人数が多い。青士や天狗、神猿に神社の宮司さん本人までもが行列に参加。天狗や神猿の面って、西金砂神社のものとは違うんですね。で、一番面白かったのは、神輿が改造トラクターの上に乗ってきたこと。勿論、要所要所では人手で担ぐんですが、西金砂神社のように人手で担ぐ個所以外で普通のトラックに乗せて搬送するよりは、ずっと行列に付いてきてくれる方が観ている方も面白い。
行列は神事予定場所を過ぎてどんどん先に進み、待っていた人々からは「やっぱりやらないのか?」という落胆の声が。とその時、急に宮司さんが神職の方々を引き連れてこちらに向かってくる。マスコミ連中も他人を押しのけて突進してくる(苦笑) 程なく、たった2張の弓とは言え、宮司さんから神職の方2名に手渡された弓を真弓山に向かって引く儀式が始まる。運がいいことに、私が居た場所のすぐ近くでやってくれたんでしっかり観ることが出来ました。
その後、行列を追い掛けて岡田祭場へ。見晴らしのいい田圃のなかの道を延々と行列を成す絵は実にいい。これだけ人工物が少なく見晴らしのいい場所は、この大祭礼の渡御経路の中で他にはないんじゃないでしょうか?
岡田祭場で神事を観た後、川中子を経由して大橋へ。途中、数十人の小行列になった行列を追い越し、行列を先行して大橋に向かう。歩くのは国道239号線なのだけれど、行列は歩道を歩くということになっているため通行規制は全く掛かっていない。この小さな行列でも一目観ようと国道沿いに待っている人々がかなり居て少々びっくり。予定よりも少し遅れ気味なせいか、日の暮れかけた国道をちょっと急ぎ気味に歩く行列を、その少し前をずっとキープして歩いていたんですが…道路沿いの何人もの方々に「ご苦労様です」と声を掛けられてしまいました。どう考えても私の格好では関係者には見えないと思うんですが…。(^^;
大橋地区に入ると、「送迎丁渡」の儀式があり、この辺りの大和田地区の氏子総代が歓迎の意を表した文面を読み上げ、ここより町境まで提灯にて先導いたします、とのこと。街灯も余りないような細い道を灯された提灯に先導されて祭りの行列は進む。沿道の方々はぽつぽつでしたが、町全体が一体となって行列を歓待しているという雰囲気に溢れているのを感じます。この一体感こそ「大祭礼」と呼ぶのに相応しい。勿論、田楽舞や神事も重要だけれども、こうやって地元も神社も共に歩んでいく心があればこそ、本来の「祭礼」の姿になり得るんですよ。私には信仰心というものはないけれど、こういう伝統が伝えている心を理解したいと思うし、理解する心を持ち続けて行きたいと思うんですね。マスコミ諸社が、それもほんの断片しか伝えていないような田楽舞や神事の派手なところだけを以て「大祭礼」なんか語れない。ちょうどこの辺りを歩いている時に、他所から来たらしきカメラマンが「(行列が)小さくてつまらない」なんて言ってましたが、それこそ失礼千万。なにかあると「どこそこと較べてどうこう」と言う比較論を知った顔をして出したがる輩がいますけど、そんなの何の意味もないんですよ。遠隔地から見に来た人々の中には「派手さ」だけを求めてきた人もかなり居て、すぐ「東京あたりだったら」なんて言葉を出したがるようですが、それは祭りというものの本質が分かっていない。祭りは派手ゆえに尊からず。
★午後から休みを取って、金砂神社大祭礼「十二丁田んぼの弓弦の神事」を観に行く。日立電鉄・常陸岡田駅を降りると私と同じく「弓弦神事」を観に行こうとする人が数人。その人達と一緒に神事が行われるとおぼしき場所に来ると、東金砂神社の行列の到着予定時刻より2時間半も前なのに、既に何人もの人が待機してました。この「弓弦神事」、磯出大祭礼では「石名坂の榎」と並んで貴重な神事で、どちらも西・東金砂神社それぞれ1回しかやらない神事なので、見逃すと72年後までないんですね。「石名坂の榎」の方は72年間育てた榎の切り株に神輿を乗せるというもので、神輿の形こそ違えど、西か東のどちらかを観ておけば取り敢えずよさそうなものですが、「弓弦神事」の方は3日前の西金砂神社の行列では「やらなかった」そうなので、今日の東金砂神社の行列に否が応でも期待が集まるというもので。
待機している間に、回りの人々に話を聞く。郷土史をかなり研究している人も居て、その人曰く、西金砂神社が神事を取り止めたのはおかしいと。この神事は、「十二丁田んぼ」と呼ばれる場所に行列が差しかかった時に、真弓山に向かって武者が十二張の弓弦を鳴らして矢を射る真似をするというもので、西金砂神社曰く「(真弓山の)神様に矢を向ける訳にはいかない」とのこと。しかしながらこの神事、本来は金砂神社が真弓山の神を招くもので、弓を射るのは敵対ではなく、太陽と月に向かって祭りの加護を祈願する意味があるんだそうです。ただ、今の時代にそういう解説をしたところで分かって貰えない可能性の方が高いということで、東金砂の方もやらないんじゃないか?などと悲観的な予想がちらほら。
この真弓山と金砂神社との関係ですが、昔は東・西金砂神社と真弓神社が一緒に水木浜に向かっていたそうです。その頃は太田八幡から岡田十二丁を通って真弓に向かい、そこで田楽を奉納していたのだとか。今でも地名に残っているそうです。行列はその後、世矢、大森、丹奈と山側を経由して石名坂に向かっていたそうで。その頃の川中子付近は葦原だったそうな。この関係が変化したのが徳川の政権になってから。真弓神社は鹿島神社と縁が深いそうで、金砂神社と真弓神社の切り離しは佐竹氏のカラーを払拭するための徳川の宗教政策だったのだとか。この辺、詳細はよく分かりません。(^^;
郷土史研究家の話はまだ続いていて、常陸太田市・藤田祭場の話になる。ここは自主的に歓迎の幟を出すぐらい熱心なところで、伝統を守りつつ、女性参画など従来のしきたりだけに囚われない主張をしているそうで、マスコミが取り上げるならばそういう本質的な内容を取り上げてくれとのこと。祭りの本質を全く知ろうとせず、ただ絵的に派手なものばかりを表面的に放送するだけなら何の意味もないと。それ、私も大いにそう思います。
因みに昨日の水木浜での「汐汲みの神事」ですが、マスコミ連中の中でNHKのとある人間だけがたまたま気付いただけであとは反応も無かったのだとか。で、たまたま気付いたNHKが何をやったのかというと、『思いっきりサーチライトを点けた』んだそうで、祭事の方々に思い切り怒鳴られたそうです。そりゃそうでしょう。TBSの傍若無人な騒音ヘリもそうですけど、テレビ屋って自分たちの映像のためなら神事をぶち壊しにしてもいいと思ってるんでしょうかね? それとも自分たちにはその権利があると思い込んでる? もしそうなら…脳の検査した方がいいな。実際、「十二丁田んぼ」に集まった人々からも口々に「マスコミが鬱陶しい」という批判の声が...。個人的にはNHKと朝日新聞の態度が特に酷く感じましたが。
それはともかく、15時半過ぎに行列到着。てっきり小行列かと思っていたんですが、随分と人数が多い。青士や天狗、神猿に神社の宮司さん本人までもが行列に参加。天狗や神猿の面って、西金砂神社のものとは違うんですね。で、一番面白かったのは、神輿が改造トラクターの上に乗ってきたこと。勿論、要所要所では人手で担ぐんですが、西金砂神社のように人手で担ぐ個所以外で普通のトラックに乗せて搬送するよりは、ずっと行列に付いてきてくれる方が観ている方も面白い。
行列は神事予定場所を過ぎてどんどん先に進み、待っていた人々からは「やっぱりやらないのか?」という落胆の声が。とその時、急に宮司さんが神職の方々を引き連れてこちらに向かってくる。マスコミ連中も他人を押しのけて突進してくる(苦笑) 程なく、たった2張の弓とは言え、宮司さんから神職の方2名に手渡された弓を真弓山に向かって引く儀式が始まる。運がいいことに、私が居た場所のすぐ近くでやってくれたんでしっかり観ることが出来ました。
その後、行列を追い掛けて岡田祭場へ。見晴らしのいい田圃のなかの道を延々と行列を成す絵は実にいい。これだけ人工物が少なく見晴らしのいい場所は、この大祭礼の渡御経路の中で他にはないんじゃないでしょうか?
岡田祭場で神事を観た後、川中子を経由して大橋へ。途中、数十人の小行列になった行列を追い越し、行列を先行して大橋に向かう。歩くのは国道239号線なのだけれど、行列は歩道を歩くということになっているため通行規制は全く掛かっていない。この小さな行列でも一目観ようと国道沿いに待っている人々がかなり居て少々びっくり。予定よりも少し遅れ気味なせいか、日の暮れかけた国道をちょっと急ぎ気味に歩く行列を、その少し前をずっとキープして歩いていたんですが…道路沿いの何人もの方々に「ご苦労様です」と声を掛けられてしまいました。どう考えても私の格好では関係者には見えないと思うんですが…。(^^;
大橋地区に入ると、「送迎丁渡」の儀式があり、この辺りの大和田地区の氏子総代が歓迎の意を表した文面を読み上げ、ここより町境まで提灯にて先導いたします、とのこと。街灯も余りないような細い道を灯された提灯に先導されて祭りの行列は進む。沿道の方々はぽつぽつでしたが、町全体が一体となって行列を歓待しているという雰囲気に溢れているのを感じます。この一体感こそ「大祭礼」と呼ぶのに相応しい。勿論、田楽舞や神事も重要だけれども、こうやって地元も神社も共に歩んでいく心があればこそ、本来の「祭礼」の姿になり得るんですよ。私には信仰心というものはないけれど、こういう伝統が伝えている心を理解したいと思うし、理解する心を持ち続けて行きたいと思うんですね。マスコミ諸社が、それもほんの断片しか伝えていないような田楽舞や神事の派手なところだけを以て「大祭礼」なんか語れない。ちょうどこの辺りを歩いている時に、他所から来たらしきカメラマンが「(行列が)小さくてつまらない」なんて言ってましたが、それこそ失礼千万。なにかあると「どこそこと較べてどうこう」と言う比較論を知った顔をして出したがる輩がいますけど、そんなの何の意味もないんですよ。遠隔地から見に来た人々の中には「派手さ」だけを求めてきた人もかなり居て、すぐ「東京あたりだったら」なんて言葉を出したがるようですが、それは祭りというものの本質が分かっていない。祭りは派手ゆえに尊からず。
コメント