金砂神社磯出大祭礼-5「東金砂神社田楽舞」
2003年3月28日★日立市の水木浜祭場にて「東金砂神社田楽舞」があるので今日はそちらへ。祭場には5時半ぐらいに着くように出掛けたんですが、道中本当にこんな狂気な時刻に出掛けるような物好きって本当にいるのか?という疑問がふと脳裏をかすめる。が、水木の集落に入ると「それらしい」人間が何人も会場と思しき方向に歩いて行くのが見える。暫く行くと、どこぞの移動サーカスのような巨大テントが幾つも張られた会場に到着。時に5時半少し前。会場には前方に椅子席と後方にスタンド席が設けられていてこれらの殆どが既に埋まっているという状態。…もっと狂気な人が大勢いたんですね(汗) 因みに椅子席の最前列に座っている人は「4時に来た」んだそうで。混雑が嫌いな私は椅子を荷物で押さえておいて、水木浜に出て、海から上る朝日の写真なんかを撮影してました。つくづく思うに、私には「お祭り」よりも「自然の中でのんびり」の方が向いているな、と。このまま雑踏から逃れて、浜辺で寝ころんで過ごすのもいいかな?などと本気で思ってみたり。
それにしてもこの「水木浜祭場」、非常に気になるのは神事や田楽舞を行う場所がまるでステージのようになっていて、ほぼ一方向からしか眺められないこと。神事はともかく、田楽舞は元々「民が皆で楽しむもの」なのだから、他の祭場のように田楽舞台だけでも「回りを人が囲める」ように出来なかったものか。いや、その配置以上に気になるのは、舞台周辺の「いいところ」にかなりゆったりしたスペースを取り、招待客専用としていること。あと、椅子席の前方正面の見やすい領域も招待券が必要としていたし、スタンド席も舞台正面は報道関連専用。要するに一般の人間が入れるのは数少ない端の方の観にくい席だけなんですね。でも椅子席などの座れた人はまだましで、殆どの人は会場の両脇の余りスペースに身動き取れないまでに押し込められて、更に会場に入れない人はクリアビジョンのようなもので観ろと言う。で、開始1時間半前の6時半には既に入場制限が。この異常な状態は会場が狭いからというだけの理由じゃないでしょう。明らかに会場の設計ミスだし、何より「金になる」招待客や報道関連を特別扱いして無駄なスペースを設け過ぎたのが最大の原因。なんぼ今回の「磯出大祭礼」関連の5市町村で最も財政的に貧困な日立市とは言え、市政と同じく祭典まで体質丸出しの「金権依存」にしなくてもいいでしょうに。上野を5時過ぎに出る常磐線の普通列車でわざわざ来た人も結構多かったらしいんですが、わざわざ来てもこの無駄なスペースのおかげで門前払いだった模様。
8時に祭典開始。神事の後に巫女舞が奉納。巫女舞の後が待望の田楽舞。西金砂神社と時と違い、神棚を設けることはせず、最初から面を着けた田楽士が登場。東金砂神社田楽舞の第一段は西金砂神社と同じく「四方固め(しほうがため)」。解説によると「猿田彦の面をかぶり、鳥毛を載せ、鳥烏帽子をかぶる。金襴地の袴と狩衣を着て、太刀、柄太刀、矛、筥祓を順次持って四方を固め、天下泰平を祈る」ものだそうで、恐らくは東金砂神社田楽舞では最も重要なもの。西金砂神社の四方固めが大鉾で四方を一通り固めるだけだったのに対し、こちらは太刀で四方を固め、次に柄太刀、矛、筥祓と計12回もある訳ですから時間的にも長いですし。
続く第二段はこちらも西と同じ「獅子舞」。内容的にも、「白色の鳥毛をつけ、大国主命の面(笑いの面)をかぶり、獅子を大鈴を振り和めて意のままにする舞で、武力を用いずに思いやりを以て国を統治することを表している」とのことで、西とほぼ同じだそうです。はっきり違いを感じたのは獅子舞の獅子が、西金砂神社のものでは獅子面をつけた田楽士だったのに対し、東の方は獅子頭をかぶった如何にも獅子舞と言った雰囲気のものだったことでしょうか。
第三段からは西金砂神社と内容が異なり、こちらの演目は「巫女舞」。「前段において荒ぶる神(獅子)を平定した後、神慮を慰める舞」だそうで、田楽舞の前に奉納された「巫女舞」とは異なり、こちらは男性の田楽士が巫女の面をかぶったもの。「白衣を着て緋の袴をはき、緋の単衣を着た上に舞衣を着る。巫女の面をかぶり、垂髪をつけ、天冠をかぶり、両手に神楽鈴を持つ」のだそうです。この神楽鈴は前段の獅子舞で使われたものと同じものだそうで。
田楽舞の最後・第四段は「三鬼舞(さんきまい)」。「赤、黒、青色の装束と鬼の面をつけ、青鬼は松明、黒鬼は斧、赤鬼は金棒を持って荒々しく舞う。猿の面をかぶり、頭巾をつけた神猿を追い散らし、護摩餅を割る」という舞だそうです。会場での解説では、鬼が人を食べていたのを神がたしなめて、そんなことをしてはいけない、替わりにおまえ達には一年に一度ご馳走をやろうと言ったとされるのが、この神猿が焼いていた護摩餅のことなんだそうです。一年一回のご馳走が餅だけか…なんて一瞬思ってしまったんですが、逆に言えば昔はいかにこの餅と言うものが貴重だったのか、それを表している事実とも言えますね。
祭典の後、暫くしてから大行列の出発。祭典会場近辺は大混乱状態なので、それを避けて水木浜の南端近くまで行き、堤防の上にのぼるとこれがなかなかの眺め。500人の行列って「一望すると」長いですね。昨日、岡田十二丁で眺めた行列よりも、確かに人数的にもうんと多いんですが、いつまで経っても通過し終わらない行列というのはなかなか見応えがありました。
大甕駅前近くでもう一度行列を眺めてから、行列に付いて久慈浜の町中を抜けて、久慈浜祭場へ。ぱっと見、相当な見物人が居るように思えたんですが、入ってみると敷地内は結構余裕があって、ゆっくり眺めることが出来ました。しかも、行列の出発後、本来は無い筈の「田楽舞」があると言うじゃないですか。これ、今日の水木会場に入れなかった人をこちらの久慈浜会場に振り分けたから、その「御詫び」に臨機応変的にやることにした…んでしょうかね? まぁ田楽舞と言っても第一段「四方固め」のうちの「太刀」「矛」の2つと、第四段「三鬼舞」というサブセットのみの演舞でしたけど。
全てのプログラムが終了しましたとの放送が流れ、皆揃って撤退開始。大体の人は車で来ていたようなんですが、私は水木浜から歩いてきたんで、再び久慈浜の町中方向へ戻ることに。戻る途中、作業用のトラックが町中に吊るされていた「金砂神社磯出大祭禮 久慈濱神幸」という旗を回収している場面に遭遇。恐らくはここ一週間ほどずっと町中にあっただろう旗が次々と回収されてごく普通の町並みに戻って行くのを見ていると、祭りの後の寂しさというものをしみじみと感じてしまいました。磯出大祭礼そのものはは月曜日まで続くけれど、この寂しさを感じてしまったからには、私にとっての「大祭礼」は今日が最後。誰にと言うのではなく、お疲れさま、ありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。
★久慈浜の町中にあった「千年湯」なる銭湯で白色のケロリン桶を発見。こんなの初めてみました。ケロリン桶ファンとしては是非とも手に入れたい一品<ホンマか? (^^;?
それにしてもこの「水木浜祭場」、非常に気になるのは神事や田楽舞を行う場所がまるでステージのようになっていて、ほぼ一方向からしか眺められないこと。神事はともかく、田楽舞は元々「民が皆で楽しむもの」なのだから、他の祭場のように田楽舞台だけでも「回りを人が囲める」ように出来なかったものか。いや、その配置以上に気になるのは、舞台周辺の「いいところ」にかなりゆったりしたスペースを取り、招待客専用としていること。あと、椅子席の前方正面の見やすい領域も招待券が必要としていたし、スタンド席も舞台正面は報道関連専用。要するに一般の人間が入れるのは数少ない端の方の観にくい席だけなんですね。でも椅子席などの座れた人はまだましで、殆どの人は会場の両脇の余りスペースに身動き取れないまでに押し込められて、更に会場に入れない人はクリアビジョンのようなもので観ろと言う。で、開始1時間半前の6時半には既に入場制限が。この異常な状態は会場が狭いからというだけの理由じゃないでしょう。明らかに会場の設計ミスだし、何より「金になる」招待客や報道関連を特別扱いして無駄なスペースを設け過ぎたのが最大の原因。なんぼ今回の「磯出大祭礼」関連の5市町村で最も財政的に貧困な日立市とは言え、市政と同じく祭典まで体質丸出しの「金権依存」にしなくてもいいでしょうに。上野を5時過ぎに出る常磐線の普通列車でわざわざ来た人も結構多かったらしいんですが、わざわざ来てもこの無駄なスペースのおかげで門前払いだった模様。
8時に祭典開始。神事の後に巫女舞が奉納。巫女舞の後が待望の田楽舞。西金砂神社と時と違い、神棚を設けることはせず、最初から面を着けた田楽士が登場。東金砂神社田楽舞の第一段は西金砂神社と同じく「四方固め(しほうがため)」。解説によると「猿田彦の面をかぶり、鳥毛を載せ、鳥烏帽子をかぶる。金襴地の袴と狩衣を着て、太刀、柄太刀、矛、筥祓を順次持って四方を固め、天下泰平を祈る」ものだそうで、恐らくは東金砂神社田楽舞では最も重要なもの。西金砂神社の四方固めが大鉾で四方を一通り固めるだけだったのに対し、こちらは太刀で四方を固め、次に柄太刀、矛、筥祓と計12回もある訳ですから時間的にも長いですし。
続く第二段はこちらも西と同じ「獅子舞」。内容的にも、「白色の鳥毛をつけ、大国主命の面(笑いの面)をかぶり、獅子を大鈴を振り和めて意のままにする舞で、武力を用いずに思いやりを以て国を統治することを表している」とのことで、西とほぼ同じだそうです。はっきり違いを感じたのは獅子舞の獅子が、西金砂神社のものでは獅子面をつけた田楽士だったのに対し、東の方は獅子頭をかぶった如何にも獅子舞と言った雰囲気のものだったことでしょうか。
第三段からは西金砂神社と内容が異なり、こちらの演目は「巫女舞」。「前段において荒ぶる神(獅子)を平定した後、神慮を慰める舞」だそうで、田楽舞の前に奉納された「巫女舞」とは異なり、こちらは男性の田楽士が巫女の面をかぶったもの。「白衣を着て緋の袴をはき、緋の単衣を着た上に舞衣を着る。巫女の面をかぶり、垂髪をつけ、天冠をかぶり、両手に神楽鈴を持つ」のだそうです。この神楽鈴は前段の獅子舞で使われたものと同じものだそうで。
田楽舞の最後・第四段は「三鬼舞(さんきまい)」。「赤、黒、青色の装束と鬼の面をつけ、青鬼は松明、黒鬼は斧、赤鬼は金棒を持って荒々しく舞う。猿の面をかぶり、頭巾をつけた神猿を追い散らし、護摩餅を割る」という舞だそうです。会場での解説では、鬼が人を食べていたのを神がたしなめて、そんなことをしてはいけない、替わりにおまえ達には一年に一度ご馳走をやろうと言ったとされるのが、この神猿が焼いていた護摩餅のことなんだそうです。一年一回のご馳走が餅だけか…なんて一瞬思ってしまったんですが、逆に言えば昔はいかにこの餅と言うものが貴重だったのか、それを表している事実とも言えますね。
祭典の後、暫くしてから大行列の出発。祭典会場近辺は大混乱状態なので、それを避けて水木浜の南端近くまで行き、堤防の上にのぼるとこれがなかなかの眺め。500人の行列って「一望すると」長いですね。昨日、岡田十二丁で眺めた行列よりも、確かに人数的にもうんと多いんですが、いつまで経っても通過し終わらない行列というのはなかなか見応えがありました。
大甕駅前近くでもう一度行列を眺めてから、行列に付いて久慈浜の町中を抜けて、久慈浜祭場へ。ぱっと見、相当な見物人が居るように思えたんですが、入ってみると敷地内は結構余裕があって、ゆっくり眺めることが出来ました。しかも、行列の出発後、本来は無い筈の「田楽舞」があると言うじゃないですか。これ、今日の水木会場に入れなかった人をこちらの久慈浜会場に振り分けたから、その「御詫び」に臨機応変的にやることにした…んでしょうかね? まぁ田楽舞と言っても第一段「四方固め」のうちの「太刀」「矛」の2つと、第四段「三鬼舞」というサブセットのみの演舞でしたけど。
全てのプログラムが終了しましたとの放送が流れ、皆揃って撤退開始。大体の人は車で来ていたようなんですが、私は水木浜から歩いてきたんで、再び久慈浜の町中方向へ戻ることに。戻る途中、作業用のトラックが町中に吊るされていた「金砂神社磯出大祭禮 久慈濱神幸」という旗を回収している場面に遭遇。恐らくはここ一週間ほどずっと町中にあっただろう旗が次々と回収されてごく普通の町並みに戻って行くのを見ていると、祭りの後の寂しさというものをしみじみと感じてしまいました。磯出大祭礼そのものはは月曜日まで続くけれど、この寂しさを感じてしまったからには、私にとっての「大祭礼」は今日が最後。誰にと言うのではなく、お疲れさま、ありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。
★久慈浜の町中にあった「千年湯」なる銭湯で白色のケロリン桶を発見。こんなの初めてみました。ケロリン桶ファンとしては是非とも手に入れたい一品<ホンマか? (^^;?
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