大杉谷〜大台ヶ原・伊賀紀行3日目 / 大台ヶ原
2003年8月2日★習慣で4時台に目が覚める。本日は快晴なり。大台荘の朝食は7時からとかなり遅く、この辺りからも山小屋というより民宿なのだなと思う。朝食まで待つのも馬鹿らしいので、ストックを1本だけ持って朝の散策に。まずはすぐ近くの大台教会へ。「御神酒 御召し上がりください。」とあったので、ひと舐めだけ御召し上がりしてみる。西大台への鬱蒼とした登山道に惹かれつつ、駐車場に戻って今度は「こけ探勝路」に向かう。大台荘の裏手の小山をくるりと回るコンクリート製の散策路で、木々を擦り抜けてくる朝日が心地よい。
大台荘に戻り、暫くすると朝食の案内が。大急ぎで朝食を掻き込み、荷物を宿の「乾燥室」の棚に置いてから、ストック1本持って東大台散策路へ。まずは昨日も行った日出ヶ岳山頂に再び立ち寄ってみたが、大台ヶ原周辺は快晴でも超望遠距離は軒並みガスが掛かっていて、残念ながら眺望は昨日とそう変わらない。正木峠を越えて暫くの間は良く整備された木道が続く。周りの景色は立ち枯れしたトウヒばかりで、北海道・野付半島のトドワラを思わせるような凄みのある美しさを感じる。が、このトウヒの立ち枯れ、イトザサの大繁殖に伴って増え過ぎた野生の鹿が今度はトウヒの樹皮を噛ってしまい、トウヒの森があっという間に消えてしまったというのが真実らしい。峠を越え、木の根や岩がごろごろする道を暫く進むと正木ヶ原。ここから正木峠周辺を望むことが出来るが、見事なまでの立ち枯れである。悪路を更に降りると右手から駐車場からのショートカットが合流して尾鷲辻に到着。昔はここから尾鷲方面に降りる登山道が続いていたのだが、今は廃道となっている由。
山道が開けると牛石ガ原。辺り一帯はイトザサの大群落で一面が緑に染まっている。昔この辺りに居た牛鬼という怪物を高僧が捕らえてこの石の下に封じ込めたという伝説がある牛石があるので牛石ガ原と言われるのだが、この牛石が思ったよりも小さく、噂の牛鬼の力も然程では無いのだなとも思う。すぐ近くには大台ヶ原の開祖・古川嵩翁が尾鷲から運んだという神武天皇像と御手洗池という枯れ池もある。
牛石ガ原からすぐに大蛇グラへの分岐点に出る。持参のガイドマップでは分岐点から大蛇グラまではすぐのように書いてあるのだが、実際は1.4kmもあるらしい。切り立った尾根道を歩くうちに道幅が徐々に狭くなってくる。途中、3m程の高さの岩があったのでちょっと登って見ると、正面に大蛇グラと平行する大岩壁・蒸籠グラが見える。岩から少し行くと鞍を前後にぐっと引き伸ばしたような形の地形になり、左右の木々が切れる。大蛇グラの先端である。正面には大峰連山、右手すぐには蒸籠グラ、右手奥には西の滝を見下ろせる大絶景なのだが、先端に立って眼下を見下ろすとこれがなかなかの迫力。垂直に約800mの断崖というのは想像を超えるものがあって、一瞬自分が何処に立っているのかさえ分からなくなってしまう。無論、落下防止の為に鎖は付けられているものの、ちょっと足を滑らせれば鎖の間を擦り抜けて崖下に直行である。
大蛇グラ分岐に戻る。ここからシャクナゲの大群落を抜けて急坂をシオカラ谷まで降り、シオカラ吊橋を渡って再び急勾配を階段で登り返す。シオカラ谷の渓谷は美しいのだが、シャクナゲが咲いていない今の時期にこのルートを通る意義は余り感じられ無い。東大台随一の名所・大蛇グラを目指してこのルートを(またはこの逆ルートを)取る人がいるのだろうが、距離は長いものの尾鷲辻から回ってきた方が体力的にはかなり楽なのではないかと思う。
駐車場に戻ると、丁度10:41到着予定のバスが少しばかり遅れて着いたばかりで、登山者らしき人達がわらわらと降りてくる。案内の音声が帰りの便の乗車整理券を取っておくようにとの旨を告知しているので、私も早速窓口に行き、大和上市駅までの2130円分の切符を購入がてら整理券について訊ねてみる。が、私が予定している12:15発の便は乗車人数が少ないので整理券は不要とのことであった。日帰りで東大台を散策するにしても、大杉谷から登ってくるにしても、12:15という時刻は確かにいささか早過ぎるのかも知れない。
12:15発の上市行きバスは、乗客は僅か5名だが、乗務員は3人もいる。運転手が1人に、安全確認係が1人、後の1人は指導係か。延々左手ばかりに続く連山の風景を手にしたカメラで何枚も撮っていると、指導係らしき人が色々と解説してくれ始めた。有り難いことである。左手の眺望も伯母峰までで、指導係氏が「今度は右側に移って」と言う。右手眼下に後で通るというループ橋を見下ろし、狭い山道をどんどん上ってくる車と際疾い擦れ違いを繰り返しながら高度を下げていく。正面に一際目を引く山容が現れる。大普賢岳である。
野生の山葵が自生していたという「わさび谷」を過ぎると先程見下ろしたループ橋を通過し、ダム湖の脇に出る。程なくこのダム湖を形成している大迫ダムの横を通過し、吉野川に沿ったルートになる。指導係氏より対岸の巨岩・屏風岩などの解説を受けつつ、川上村を抜け、左手に柿の葉寿司の名店「平宗」本店を見送れば程なく大和上市駅到着。駅前の小さな店で「平宗」の柿の葉寿司を扱っていたので、有り難く購入させて貰う。本店まで行けば鮎寿司も手に入る筈なのだが、そこまで言うのは贅沢というものであろう。
橿原神宮、大和八木、榛原と乗り換えて16時頃に名張到着。駅前の「賛急屋」なる怪しげな屋号の店で「なばり饅頭」2個と名張・木屋正酒造「高砂」純米酒(300ml)を1本購入し、駅近くのビジネスホテルに投宿。
大台荘に戻り、暫くすると朝食の案内が。大急ぎで朝食を掻き込み、荷物を宿の「乾燥室」の棚に置いてから、ストック1本持って東大台散策路へ。まずは昨日も行った日出ヶ岳山頂に再び立ち寄ってみたが、大台ヶ原周辺は快晴でも超望遠距離は軒並みガスが掛かっていて、残念ながら眺望は昨日とそう変わらない。正木峠を越えて暫くの間は良く整備された木道が続く。周りの景色は立ち枯れしたトウヒばかりで、北海道・野付半島のトドワラを思わせるような凄みのある美しさを感じる。が、このトウヒの立ち枯れ、イトザサの大繁殖に伴って増え過ぎた野生の鹿が今度はトウヒの樹皮を噛ってしまい、トウヒの森があっという間に消えてしまったというのが真実らしい。峠を越え、木の根や岩がごろごろする道を暫く進むと正木ヶ原。ここから正木峠周辺を望むことが出来るが、見事なまでの立ち枯れである。悪路を更に降りると右手から駐車場からのショートカットが合流して尾鷲辻に到着。昔はここから尾鷲方面に降りる登山道が続いていたのだが、今は廃道となっている由。
山道が開けると牛石ガ原。辺り一帯はイトザサの大群落で一面が緑に染まっている。昔この辺りに居た牛鬼という怪物を高僧が捕らえてこの石の下に封じ込めたという伝説がある牛石があるので牛石ガ原と言われるのだが、この牛石が思ったよりも小さく、噂の牛鬼の力も然程では無いのだなとも思う。すぐ近くには大台ヶ原の開祖・古川嵩翁が尾鷲から運んだという神武天皇像と御手洗池という枯れ池もある。
牛石ガ原からすぐに大蛇グラへの分岐点に出る。持参のガイドマップでは分岐点から大蛇グラまではすぐのように書いてあるのだが、実際は1.4kmもあるらしい。切り立った尾根道を歩くうちに道幅が徐々に狭くなってくる。途中、3m程の高さの岩があったのでちょっと登って見ると、正面に大蛇グラと平行する大岩壁・蒸籠グラが見える。岩から少し行くと鞍を前後にぐっと引き伸ばしたような形の地形になり、左右の木々が切れる。大蛇グラの先端である。正面には大峰連山、右手すぐには蒸籠グラ、右手奥には西の滝を見下ろせる大絶景なのだが、先端に立って眼下を見下ろすとこれがなかなかの迫力。垂直に約800mの断崖というのは想像を超えるものがあって、一瞬自分が何処に立っているのかさえ分からなくなってしまう。無論、落下防止の為に鎖は付けられているものの、ちょっと足を滑らせれば鎖の間を擦り抜けて崖下に直行である。
大蛇グラ分岐に戻る。ここからシャクナゲの大群落を抜けて急坂をシオカラ谷まで降り、シオカラ吊橋を渡って再び急勾配を階段で登り返す。シオカラ谷の渓谷は美しいのだが、シャクナゲが咲いていない今の時期にこのルートを通る意義は余り感じられ無い。東大台随一の名所・大蛇グラを目指してこのルートを(またはこの逆ルートを)取る人がいるのだろうが、距離は長いものの尾鷲辻から回ってきた方が体力的にはかなり楽なのではないかと思う。
駐車場に戻ると、丁度10:41到着予定のバスが少しばかり遅れて着いたばかりで、登山者らしき人達がわらわらと降りてくる。案内の音声が帰りの便の乗車整理券を取っておくようにとの旨を告知しているので、私も早速窓口に行き、大和上市駅までの2130円分の切符を購入がてら整理券について訊ねてみる。が、私が予定している12:15発の便は乗車人数が少ないので整理券は不要とのことであった。日帰りで東大台を散策するにしても、大杉谷から登ってくるにしても、12:15という時刻は確かにいささか早過ぎるのかも知れない。
12:15発の上市行きバスは、乗客は僅か5名だが、乗務員は3人もいる。運転手が1人に、安全確認係が1人、後の1人は指導係か。延々左手ばかりに続く連山の風景を手にしたカメラで何枚も撮っていると、指導係らしき人が色々と解説してくれ始めた。有り難いことである。左手の眺望も伯母峰までで、指導係氏が「今度は右側に移って」と言う。右手眼下に後で通るというループ橋を見下ろし、狭い山道をどんどん上ってくる車と際疾い擦れ違いを繰り返しながら高度を下げていく。正面に一際目を引く山容が現れる。大普賢岳である。
野生の山葵が自生していたという「わさび谷」を過ぎると先程見下ろしたループ橋を通過し、ダム湖の脇に出る。程なくこのダム湖を形成している大迫ダムの横を通過し、吉野川に沿ったルートになる。指導係氏より対岸の巨岩・屏風岩などの解説を受けつつ、川上村を抜け、左手に柿の葉寿司の名店「平宗」本店を見送れば程なく大和上市駅到着。駅前の小さな店で「平宗」の柿の葉寿司を扱っていたので、有り難く購入させて貰う。本店まで行けば鮎寿司も手に入る筈なのだが、そこまで言うのは贅沢というものであろう。
橿原神宮、大和八木、榛原と乗り換えて16時頃に名張到着。駅前の「賛急屋」なる怪しげな屋号の店で「なばり饅頭」2個と名張・木屋正酒造「高砂」純米酒(300ml)を1本購入し、駅近くのビジネスホテルに投宿。
大杉谷〜大台ヶ原・伊賀紀行2日目 / 大杉谷 (2)
2003年8月1日★5時前に目が覚める。同室の男性は5時少し過ぎに発ったようで、こちらも準備は出来ているのだけれど、朝食と弁当を待たないといけないので所在なくぼんやりする。早朝にかなり激しい豪雨があったようだが、朝になると程々に晴れている。食事後に弁当を受け取る。「お湯、お茶1Lまで100円」とポットが置いてあるのだけれど、私は山歩きの時は普通の水しか飲まないので遠慮しておく。荷物を纏め、7時に出発。雲行きがあまりよろしく無さそうなので、ザックカバーを付け、長袖シャツの代わりにレインウェアを羽織る。山小屋の前に、名前の通り桃の木が植えられていて、ほんのり色付き始めた実が美しい。
山小屋の横を抜けて少し高みに上り、濡れた岩肌を辿りながら進む。20分程で少しく大きめの滝が現れる。七ツ釜滝のうち最下流の滝がこれらしい。そのまま斜面を上り切ると展望所があり、真正面に落差約80mの七ツ釜滝の全容が姿を見せる。数段に分かれ、糸を引いたかのような流れが新緑に映える。天候が回復傾向にあるので、レインウェアを仕舞って通常の長袖シャツに替える。
一部コンクリート階段を使って、七ツ釜滝の高低差を一気に高巻いて上る。足元は滑りやすい岩場、道幅も狭く、この付近での事故も多いらしい。慎重に歩くことにする。上り切ったところで長さ89mの七ツ釜滝吊橋で宮川を渡り、眼下に沖見沢を眺める。ここを過ぎて暫くの間は、数mもの岩も転っている岩場地帯を歩く。登山道は岩場の左端が指定されており、随所に鎖が設置されている。岩の表面はもう濡れてはいないのだが、一歩間違えば数m転落の後にそのまま宮川に流されるとあって、ここは慎重に進むことにする。
1時間程歩くと右手に光滝が見えてくる。落差は40m程だが、末広がりの滝でなかなか美しい。滝の落下点近くにカメラを構えた人が居て、果たしてどこから現れたものかと思う。この登山道の先にある粟谷小屋にでも泊まって降りてきた人なのかもしれない。光滝の今度は左手の岩場を高巻いて、それだけで終わらず、登山道は滝の落下地点を眼下に見下ろす高度まで上がる。上がり切るとすぐに長さ34.2mの隠滝吊橋を渡る。隠滝は文字通り吊橋に隠れるような位置に落ちている。落差は25m程度と小さめだが、バランスのいい滝である。
暫く山間を歩き、急な階段を少し登ると、対岸に落差約70mの与八郎滝が現れる。急斜面を傾れ落ちる糸のような流れが2系統あって、まるで双子の滝のようだ。
滑りやすい岩盤の上を歩き、55.8mの堂倉吊橋で対岸に渡る。右手にはこの大杉谷の登山口にあった発電所へ送水している取水施設があり、景観を壊している。取水施設を睨みながら少し進むと、長さ27.5mの堂倉滝吊橋が現れる。吊橋の途中から左手に堂倉滝が見え始める。登山道から見える滝としては最上流に位置するもので、落差20mと小さめなのだが幅広な分印象が強い滝である。橋の袂に設けられたベンチで休憩を兼ねて滝を眺める。
堂倉滝からは大台ヶ原・日出ヶ岳に向かってひたすら登るだけである。見通しの余り利かない木の根道を1.5kmで360mも登るというかなりの急勾配。所々「コンクリート片」は埋まっているものの、これは階段というよりも斜面崩落防止にあるようなものである。結局休み休みしながら1時間半ほどで何とか大台林道まで登り切る。途中、堂倉滝上流の滝と思しきものが眼下に見えたのだけが唯一の楽しみだったかと。
大台林道を少し進み、再び左手に登山道を辿るとすぐに堂倉避難小屋が現れる。小屋に入り、装備を一旦解いてから早めの昼食にする。弁当を食べていると7〜8人程の中高年パーティーがやって来る。今朝、日出ヶ岳から降りてきて、今日は桃の木山の家に泊まるらしい。しかし、昨晩大台ヶ原に泊まったにしては遅過ぎるし、さりとて今朝1番のバスではこんなに早くは来られない筈であって、いったいどういう時間配分を想定したパーティーなのかと思う。
日出ヶ岳山頂を目指し、ひたすら登る。堂倉避難小屋から山頂までの標高差は約550m、距離にして3.2kmなのだが、堂倉滝から避難小屋までの区間に較べて勾配が緩いせいか、精神的にも肉体的にも然程の疲労は感じない。それでも所々勾配がキツいところがあって、ぼちぼちと休みながらのんびり登ることにする。登山道の回りはシャクナゲだらけで、花期の5月中〜下旬辺りだと素晴らしい風景が展開するらしい。が、今はもう夏、木漏れ日を受けつつ、蒸し暑い中をひたすら登るしか無い。
日出ヶ岳まで残り380mの地点、最後の階段の連続が始まる手前にいい感じの広場があったので、ここで小休止。明るい色の苔が生えた木々に新緑の青々とした色合いが加わり、森の中に緑の絨毯を敷き詰めたよう。そんな中、気の早い木が既にほんのり赤く色付いて来ていて、一足先の秋を感じさせてくれる。一日中でもぼんやりしていたいような衝動に駆られるが、適当に切り上げて最後の登りに掛かる。14時半に日出ヶ岳山頂到着。これで長年の念願であった、大杉谷渓谷から大台ヶ原への登山ルートを踏破することが出来たのだが、もう一度同じルートを行けと言われるとこれはかなり躊躇するかもしれない。一番堪えるのはやはり「下ってくるルートもあるのに、何の為に同じ道を上っていかないといけないのか」という疑問からなる精神的疲労か。無論、あれだけの急な岩場が連続するルートであれば、下りの方が危険性が高いのは理解出来るのだけれど、上りの方にしても疲労度が極端に上がることを考えれば、危険性はどちらも同じようなものではないかとも思う。「死亡事故の殆どが下りのルートで起きている」と強調されているけれど、もしかしたらそれは単に「登山者の殆どが下りのルートを採用している」という事実を単に反映しているだけではないか。
のんびりと遊歩道を歩いて、本日の宿泊先・大台荘に到着。なかなか大きな宿泊施設で、個室も多く、山小屋というよりは民宿のようだ。今日の宿泊者は45名、うち大部屋の「広間」を使うのは僅か3名とのこと。風呂は15時半からとのことなので、早速入らせて貰う。夕食は17時半から。受付時に渡された「夕食券」を食堂に渡し、トレイに乗った夕食を受取る。白飯については丼だけがトレイに載っていて、セルフサービスでよそう。が、この白飯を自分でよそうというシステムに驚きの声を挙げた客が少なからずいて、成程確かに山小屋の客層とは違うなと思う。
山小屋の横を抜けて少し高みに上り、濡れた岩肌を辿りながら進む。20分程で少しく大きめの滝が現れる。七ツ釜滝のうち最下流の滝がこれらしい。そのまま斜面を上り切ると展望所があり、真正面に落差約80mの七ツ釜滝の全容が姿を見せる。数段に分かれ、糸を引いたかのような流れが新緑に映える。天候が回復傾向にあるので、レインウェアを仕舞って通常の長袖シャツに替える。
一部コンクリート階段を使って、七ツ釜滝の高低差を一気に高巻いて上る。足元は滑りやすい岩場、道幅も狭く、この付近での事故も多いらしい。慎重に歩くことにする。上り切ったところで長さ89mの七ツ釜滝吊橋で宮川を渡り、眼下に沖見沢を眺める。ここを過ぎて暫くの間は、数mもの岩も転っている岩場地帯を歩く。登山道は岩場の左端が指定されており、随所に鎖が設置されている。岩の表面はもう濡れてはいないのだが、一歩間違えば数m転落の後にそのまま宮川に流されるとあって、ここは慎重に進むことにする。
1時間程歩くと右手に光滝が見えてくる。落差は40m程だが、末広がりの滝でなかなか美しい。滝の落下点近くにカメラを構えた人が居て、果たしてどこから現れたものかと思う。この登山道の先にある粟谷小屋にでも泊まって降りてきた人なのかもしれない。光滝の今度は左手の岩場を高巻いて、それだけで終わらず、登山道は滝の落下地点を眼下に見下ろす高度まで上がる。上がり切るとすぐに長さ34.2mの隠滝吊橋を渡る。隠滝は文字通り吊橋に隠れるような位置に落ちている。落差は25m程度と小さめだが、バランスのいい滝である。
暫く山間を歩き、急な階段を少し登ると、対岸に落差約70mの与八郎滝が現れる。急斜面を傾れ落ちる糸のような流れが2系統あって、まるで双子の滝のようだ。
滑りやすい岩盤の上を歩き、55.8mの堂倉吊橋で対岸に渡る。右手にはこの大杉谷の登山口にあった発電所へ送水している取水施設があり、景観を壊している。取水施設を睨みながら少し進むと、長さ27.5mの堂倉滝吊橋が現れる。吊橋の途中から左手に堂倉滝が見え始める。登山道から見える滝としては最上流に位置するもので、落差20mと小さめなのだが幅広な分印象が強い滝である。橋の袂に設けられたベンチで休憩を兼ねて滝を眺める。
堂倉滝からは大台ヶ原・日出ヶ岳に向かってひたすら登るだけである。見通しの余り利かない木の根道を1.5kmで360mも登るというかなりの急勾配。所々「コンクリート片」は埋まっているものの、これは階段というよりも斜面崩落防止にあるようなものである。結局休み休みしながら1時間半ほどで何とか大台林道まで登り切る。途中、堂倉滝上流の滝と思しきものが眼下に見えたのだけが唯一の楽しみだったかと。
大台林道を少し進み、再び左手に登山道を辿るとすぐに堂倉避難小屋が現れる。小屋に入り、装備を一旦解いてから早めの昼食にする。弁当を食べていると7〜8人程の中高年パーティーがやって来る。今朝、日出ヶ岳から降りてきて、今日は桃の木山の家に泊まるらしい。しかし、昨晩大台ヶ原に泊まったにしては遅過ぎるし、さりとて今朝1番のバスではこんなに早くは来られない筈であって、いったいどういう時間配分を想定したパーティーなのかと思う。
日出ヶ岳山頂を目指し、ひたすら登る。堂倉避難小屋から山頂までの標高差は約550m、距離にして3.2kmなのだが、堂倉滝から避難小屋までの区間に較べて勾配が緩いせいか、精神的にも肉体的にも然程の疲労は感じない。それでも所々勾配がキツいところがあって、ぼちぼちと休みながらのんびり登ることにする。登山道の回りはシャクナゲだらけで、花期の5月中〜下旬辺りだと素晴らしい風景が展開するらしい。が、今はもう夏、木漏れ日を受けつつ、蒸し暑い中をひたすら登るしか無い。
日出ヶ岳まで残り380mの地点、最後の階段の連続が始まる手前にいい感じの広場があったので、ここで小休止。明るい色の苔が生えた木々に新緑の青々とした色合いが加わり、森の中に緑の絨毯を敷き詰めたよう。そんな中、気の早い木が既にほんのり赤く色付いて来ていて、一足先の秋を感じさせてくれる。一日中でもぼんやりしていたいような衝動に駆られるが、適当に切り上げて最後の登りに掛かる。14時半に日出ヶ岳山頂到着。これで長年の念願であった、大杉谷渓谷から大台ヶ原への登山ルートを踏破することが出来たのだが、もう一度同じルートを行けと言われるとこれはかなり躊躇するかもしれない。一番堪えるのはやはり「下ってくるルートもあるのに、何の為に同じ道を上っていかないといけないのか」という疑問からなる精神的疲労か。無論、あれだけの急な岩場が連続するルートであれば、下りの方が危険性が高いのは理解出来るのだけれど、上りの方にしても疲労度が極端に上がることを考えれば、危険性はどちらも同じようなものではないかとも思う。「死亡事故の殆どが下りのルートで起きている」と強調されているけれど、もしかしたらそれは単に「登山者の殆どが下りのルートを採用している」という事実を単に反映しているだけではないか。
のんびりと遊歩道を歩いて、本日の宿泊先・大台荘に到着。なかなか大きな宿泊施設で、個室も多く、山小屋というよりは民宿のようだ。今日の宿泊者は45名、うち大部屋の「広間」を使うのは僅か3名とのこと。風呂は15時半からとのことなので、早速入らせて貰う。夕食は17時半から。受付時に渡された「夕食券」を食堂に渡し、トレイに乗った夕食を受取る。白飯については丼だけがトレイに載っていて、セルフサービスでよそう。が、この白飯を自分でよそうというシステムに驚きの声を挙げた客が少なからずいて、成程確かに山小屋の客層とは違うなと思う。
大杉谷〜大台ヶ原・伊賀紀行1日目 / 大杉谷 (1)
2003年7月31日★「ムーンライトながら91」を名古屋で降り、亀山、多気乗り継ぎで三瀬谷下車。ここより宮川村営バス・大杉行きに乗車。念の為にバスの運転手に遊覧船が何処まで行くのか聞いてみたところ、わざわざ電話を掛けて確認してくれる。親切なことである。が、遊覧船乗り場らしきところから返ってきたのは「第4乗船場」とのこと。バスの終点・大杉からの遊覧船は、大杉谷への登山口である発電所から下流側に向かって第1、第2と乗船場が並んでいて、第4と言うのは最も下流側の乗船場になる。第4までしか行けないということは、それだけダムの水位が下がっているということらしい。1名がそちらに向かうという連絡もしてくれるのだが、公共交通機関を使って大杉谷を遡上しようとすると、事実上このバスを使うしか手は無く、8月の最中というのにまさか登山者は一人なのかと少々不安を感じる。
バス1台がやっとという道をひたすら走り、漸く宮川ダム湖が見えたと思うと、終点・大杉に到着。バス停の前には「大杉谷自然の家」というのがあり、そこで登山計画書を提出することになっている。記入しながらふと近くの貼り紙を見ると、宮川ダム改良工事の為、水位がかなり下がっていて、登山者は最下流の第4乗船場よりも更に下流1.3kmに設けられた臨時の第5乗船場を利用くださいとある。これから見るに、今日第4まで行けるというのは比較的幸運なことだったらしい。登山ルートに入る前に、舗装林道とは言え5kmも歩かされたのでは堪らない。1.3kmでも距離を稼げたのは嬉しい次第。
蒼い湖面と緑の木々を眺めながら、のんびりと船旅。湖面に接した法面は白っぽい岩肌が露出していて、その露出具合から水位の下がり方が見て取れる。恐らくは通常水位よりも1.5〜2mは下がっているのだろう、これでは上流部まで行けないのも道理と納得する。船は1220頃に粗末な桟橋の第4乗船場に到着。岩塗れの階段を上って林道に出、道なりに歩き始める。約12分程で第3乗船場到着。すぐ近くに「六十尋滝(ろくじゅうひろたき)」なる滝があるのでこれを見学する。13:28に漸く発電所に到着。発電所の脇を抜けたところが登山口で、ここで装備を整え、いよいよ念願の大杉谷に挑戦することになる。
登山道に入るといきなり大岩をコの字型に抉った場所に差し掛かる。道幅は1m弱だが、崖側はほぼ垂直に落ち込んでいて、誤って転落すると110m下まで直行というところである。ここが「大日グラ」と呼ばれている所で、「グラ」とはこの地方独特の表現で、大きな岩の意。右手の鎖を持ちつつ何とか抜けると、長さ16.5mの大日グラ吊橋を渡る。
小さなアップダウンを繰り返しながら、能谷、地獄谷を吊橋で渡り、京良谷出合を山あいに高巻いて越える。岩場を削って作ったらしい狭い道幅の登山道が続く。側面には鎖が連なっていて、きちんとこれを持ちながら歩かないと、数十メートル転落の恐れがある。事実、この付近で転落死亡事故が多発しているとのこと。ここを過ぎると60mもの長さの日浦杉吊橋を渡る。ここ大杉谷は日本一の大豪雨地帯として知られていて、それと言うのも熊野灘から僅か20km程度の位置に1700m近い山とそこから延びる谷がある為、高湿度の空気が山の斜面に沿って上昇流を成しているからなのだけれど、斯様な多雨地帯だけあってこの大杉谷に流れ込んでくる滝や川はかなりの数にのぼる。登山道は小沢ならばそのまま突っ切ってしまうけれど、有る程度大きくなるとそういう訳にもいかない。中規模の沢なら回り込み、大規模な沢なら高巻きで越える。無論、最大規模のものは吊橋で渡るのだが。そういう次第でこの登山道、地図で見れば真っ直ぐで平坦な道に見えるのだけれど、等高線丁度1つ分・20m程度のアップダウンが何度も繰り返されていて、思いの外に気力と体力を削がれてしまう。
水越出合の急な高巻を越えると、滝の音が聞こえてきて、対岸遥か頭上から数段に渡って落下してくる優雅な滝が視界に入ってくる。落差135m、大杉谷最大の滝・千尋(せんひろ)滝である。展望所が設けられているので、そこで暫し休憩。今回ここ大杉谷を訪ねた最大の理由の1つに、点在する数々の滝を眺めてみたかったというのがあるのだけれど、最初からこれだけの大物だと満足度も倍増である。ヤマビルがザックを上ってこようとするが、予め噴霧しておいた虫除けに阻まれて敢無く落下する。
再び小さなアップダウンを繰り返しながら上流へ進む。土砂崩れ跡を一際大きく高巻いた後、無数の巨岩で埋め尽くされた河原を進む。増水時には相当な注意が必要だろう。河原を進んでいるうちに、そこから先に繋がる深い碧の色を湛えた淵と、淵の両側を形成する切り立った2枚の岩盤の間から大きな滝が見えてくる。シシ淵とニコニコ滝である。楽しそうな名称の割には、この付近は大杉谷でも最も死亡事故率が高いらしい。見惚れるような風景と足元の不安定さを勘案すると、成程と思う。
平等グラ吊橋を渡って、宮川の対岸に出る。加茂助吊橋で沢を渡り、対岸に巨岩・平等グラを眺める。ここより林間の高みを通過し、周囲が薄暗くなってきた18時ごろ、漸く対岸に赤い屋根の意外と大きな山小屋がが姿を見せる。桃の木吊橋で再び宮川の対岸に渡り、本日の宿泊地・桃の木山の家に到着。素朴な山小屋である。
バス1台がやっとという道をひたすら走り、漸く宮川ダム湖が見えたと思うと、終点・大杉に到着。バス停の前には「大杉谷自然の家」というのがあり、そこで登山計画書を提出することになっている。記入しながらふと近くの貼り紙を見ると、宮川ダム改良工事の為、水位がかなり下がっていて、登山者は最下流の第4乗船場よりも更に下流1.3kmに設けられた臨時の第5乗船場を利用くださいとある。これから見るに、今日第4まで行けるというのは比較的幸運なことだったらしい。登山ルートに入る前に、舗装林道とは言え5kmも歩かされたのでは堪らない。1.3kmでも距離を稼げたのは嬉しい次第。
蒼い湖面と緑の木々を眺めながら、のんびりと船旅。湖面に接した法面は白っぽい岩肌が露出していて、その露出具合から水位の下がり方が見て取れる。恐らくは通常水位よりも1.5〜2mは下がっているのだろう、これでは上流部まで行けないのも道理と納得する。船は1220頃に粗末な桟橋の第4乗船場に到着。岩塗れの階段を上って林道に出、道なりに歩き始める。約12分程で第3乗船場到着。すぐ近くに「六十尋滝(ろくじゅうひろたき)」なる滝があるのでこれを見学する。13:28に漸く発電所に到着。発電所の脇を抜けたところが登山口で、ここで装備を整え、いよいよ念願の大杉谷に挑戦することになる。
登山道に入るといきなり大岩をコの字型に抉った場所に差し掛かる。道幅は1m弱だが、崖側はほぼ垂直に落ち込んでいて、誤って転落すると110m下まで直行というところである。ここが「大日グラ」と呼ばれている所で、「グラ」とはこの地方独特の表現で、大きな岩の意。右手の鎖を持ちつつ何とか抜けると、長さ16.5mの大日グラ吊橋を渡る。
小さなアップダウンを繰り返しながら、能谷、地獄谷を吊橋で渡り、京良谷出合を山あいに高巻いて越える。岩場を削って作ったらしい狭い道幅の登山道が続く。側面には鎖が連なっていて、きちんとこれを持ちながら歩かないと、数十メートル転落の恐れがある。事実、この付近で転落死亡事故が多発しているとのこと。ここを過ぎると60mもの長さの日浦杉吊橋を渡る。ここ大杉谷は日本一の大豪雨地帯として知られていて、それと言うのも熊野灘から僅か20km程度の位置に1700m近い山とそこから延びる谷がある為、高湿度の空気が山の斜面に沿って上昇流を成しているからなのだけれど、斯様な多雨地帯だけあってこの大杉谷に流れ込んでくる滝や川はかなりの数にのぼる。登山道は小沢ならばそのまま突っ切ってしまうけれど、有る程度大きくなるとそういう訳にもいかない。中規模の沢なら回り込み、大規模な沢なら高巻きで越える。無論、最大規模のものは吊橋で渡るのだが。そういう次第でこの登山道、地図で見れば真っ直ぐで平坦な道に見えるのだけれど、等高線丁度1つ分・20m程度のアップダウンが何度も繰り返されていて、思いの外に気力と体力を削がれてしまう。
水越出合の急な高巻を越えると、滝の音が聞こえてきて、対岸遥か頭上から数段に渡って落下してくる優雅な滝が視界に入ってくる。落差135m、大杉谷最大の滝・千尋(せんひろ)滝である。展望所が設けられているので、そこで暫し休憩。今回ここ大杉谷を訪ねた最大の理由の1つに、点在する数々の滝を眺めてみたかったというのがあるのだけれど、最初からこれだけの大物だと満足度も倍増である。ヤマビルがザックを上ってこようとするが、予め噴霧しておいた虫除けに阻まれて敢無く落下する。
再び小さなアップダウンを繰り返しながら上流へ進む。土砂崩れ跡を一際大きく高巻いた後、無数の巨岩で埋め尽くされた河原を進む。増水時には相当な注意が必要だろう。河原を進んでいるうちに、そこから先に繋がる深い碧の色を湛えた淵と、淵の両側を形成する切り立った2枚の岩盤の間から大きな滝が見えてくる。シシ淵とニコニコ滝である。楽しそうな名称の割には、この付近は大杉谷でも最も死亡事故率が高いらしい。見惚れるような風景と足元の不安定さを勘案すると、成程と思う。
平等グラ吊橋を渡って、宮川の対岸に出る。加茂助吊橋で沢を渡り、対岸に巨岩・平等グラを眺める。ここより林間の高みを通過し、周囲が薄暗くなってきた18時ごろ、漸く対岸に赤い屋根の意外と大きな山小屋がが姿を見せる。桃の木吊橋で再び宮川の対岸に渡り、本日の宿泊地・桃の木山の家に到着。素朴な山小屋である。
勝利!
2003年7月30日★祝・休暇取得(笑) 取得と言っても別にしごとば全体の休みなんで、取れて当たり前なんですが…なんとなく今回は際どかった気分。ともあれ、これでお出掛け出来ます。
★退勤後はしごとば主催のビアパーティー。車で行ったんで飲む訳にはいかなかったのだけれど、取り合えず現場に行って夕食代わりに焼き鳥やらタコヤキやら焼きそばやら枝豆やらを速攻で掻き込んで来ました。当たり前とは言え、全然美味しくなかったので少々後悔。目立たないうちに30分で退散(笑)
★という訳で、今からお出掛けです。今夜の「ムーンライトながら91」に乗って、戻りは8/5の朝に東京に到着する「ムーンライトながら92」。行き先は「大杉谷〜大台ヶ原」。赤目四十八滝から山越え〜伊賀上野散策&モクモク手づくりファーム訪問もアリマス。次回の更新は8/5の予定。
★退勤後はしごとば主催のビアパーティー。車で行ったんで飲む訳にはいかなかったのだけれど、取り合えず現場に行って夕食代わりに焼き鳥やらタコヤキやら焼きそばやら枝豆やらを速攻で掻き込んで来ました。当たり前とは言え、全然美味しくなかったので少々後悔。目立たないうちに30分で退散(笑)
★という訳で、今からお出掛けです。今夜の「ムーンライトながら91」に乗って、戻りは8/5の朝に東京に到着する「ムーンライトながら92」。行き先は「大杉谷〜大台ヶ原」。赤目四十八滝から山越え〜伊賀上野散策&モクモク手づくりファーム訪問もアリマス。次回の更新は8/5の予定。
正当なる休暇の危機!?
2003年7月29日★東京出張の結果、明後日からの5連休が更に危機的な状態へ。仕事の為に休暇を削ったりしたら、夢旅人的には名折れではないかと思ったりもするのだけれど、敵も然る者、あれこれと懐柔策やら包囲網を用意してくる。最終決戦は明日の日中になりそう(苦笑)
★夕食は友人A氏を呼び出して、東京・鶯谷の居酒屋「加賀屋」へ。如何にも下町と言った風情の店で、たまにこういう店に行くのも面白いかなと思う。面白いし悪くないのだけれど、何となく「その場に自分が馴染め切れてないな」と思わなくも無い。まぁこれは私自身の問題なのだけれど。
★今ごろ…なのだけれど、Amazonにて購入した本田雅人「Crowded Colors」が到着。今回もタイトな曲が多くて嬉しいのだけれど、全体的に言えば「Cross Hearts」「Real-Fusion」の方が好みの曲が多かったかも。個人的に好みだったのは「Eye Power=10.00」「Retro Cat」の2曲かな? って、好みの傾向が一発でバレそうですね(笑)
★明日の日記は…休暇の取得に成功したら、50%の確率で更新はありません。その場合、次回更新は8/5…でしょうか?
★夕食は友人A氏を呼び出して、東京・鶯谷の居酒屋「加賀屋」へ。如何にも下町と言った風情の店で、たまにこういう店に行くのも面白いかなと思う。面白いし悪くないのだけれど、何となく「その場に自分が馴染め切れてないな」と思わなくも無い。まぁこれは私自身の問題なのだけれど。
★今ごろ…なのだけれど、Amazonにて購入した本田雅人「Crowded Colors」が到着。今回もタイトな曲が多くて嬉しいのだけれど、全体的に言えば「Cross Hearts」「Real-Fusion」の方が好みの曲が多かったかも。個人的に好みだったのは「Eye Power=10.00」「Retro Cat」の2曲かな? って、好みの傾向が一発でバレそうですね(笑)
★明日の日記は…休暇の取得に成功したら、50%の確率で更新はありません。その場合、次回更新は8/5…でしょうか?
正当なる休暇の要求
2003年7月28日★しごとばは7/31から5連休。こうも立て続けに休みがあってはお金が持たないじゃないか…などと思っていたら、明日の動向次第では休出させられかねない瀬戸際に。ををぃ、せっかく「ながら91/92」の指定券も取ったんだから、大台ヶ原に行かせなさい(苦笑) ここで行かせておかないと、あとで困るよ<何がだ(笑)
★という訳で、イマイチ気分が盛り上がらないのですが、準備だけはやっておきました。あとは適当に携行食を見繕って、水を用意して、最終版の旅程をprint outするだけ。今回は荷物を減らすため、Visorは同行しません。iPodも勿論同行しません。こうやって色々と持参品を削っているとどうにも違和感があって、その理由はどこにあるのかと考えてみたところ、一つの結論に達しました。こんなことを言うと山の師匠・M氏に笑われそうですが…クルマを使わずに公共交通機関だけで山岳地帯に行くのって、2000年10月の黒部峡谷・日電/水平歩道踏破の時以来なんですよね。マイカーでもレンタカーでもいいから、クルマで登山口まで行けるのなら車内に不用品を置いて行けるんですが、今回は持っていったもの全てを標高差1000m以上の大杉谷を上がらないといけない訳で、必然的に携行品の取捨選択が厳しくなるという次第なんですね。(^^;
因みにこの黒部峡谷踏破は私がトライした中では難易度最高のもの。黒部ダムから黒部川に沿って延々下りてくるルートなんですが、流石は日本有数の激流・黒部川。ダムを造ったと言っても渓谷の激しさは並大抵ではなくて、「大雪渓越え・丸太一本空中50m宙づり」とか「道幅50cm、落ちたら200m」なんて凄まじい箇所があちこちに。因みにこの黒部峡谷・日電歩道/水平歩道は毎年事故が起きているらしいんですが、怪我人は居ないという専らの噂。どういうことかと言うと、事故が起きたら「怪我で帰れる」レベルの事故では決して済まないということだそうで。そう言えば明後日から予定している大杉谷も滑落死亡事故の多発地帯だったような(苦笑)
★本日の気分:「Udo Voodoo」(Special EFX)
★という訳で、イマイチ気分が盛り上がらないのですが、準備だけはやっておきました。あとは適当に携行食を見繕って、水を用意して、最終版の旅程をprint outするだけ。今回は荷物を減らすため、Visorは同行しません。iPodも勿論同行しません。こうやって色々と持参品を削っているとどうにも違和感があって、その理由はどこにあるのかと考えてみたところ、一つの結論に達しました。こんなことを言うと山の師匠・M氏に笑われそうですが…クルマを使わずに公共交通機関だけで山岳地帯に行くのって、2000年10月の黒部峡谷・日電/水平歩道踏破の時以来なんですよね。マイカーでもレンタカーでもいいから、クルマで登山口まで行けるのなら車内に不用品を置いて行けるんですが、今回は持っていったもの全てを標高差1000m以上の大杉谷を上がらないといけない訳で、必然的に携行品の取捨選択が厳しくなるという次第なんですね。(^^;
因みにこの黒部峡谷踏破は私がトライした中では難易度最高のもの。黒部ダムから黒部川に沿って延々下りてくるルートなんですが、流石は日本有数の激流・黒部川。ダムを造ったと言っても渓谷の激しさは並大抵ではなくて、「大雪渓越え・丸太一本空中50m宙づり」とか「道幅50cm、落ちたら200m」なんて凄まじい箇所があちこちに。因みにこの黒部峡谷・日電歩道/水平歩道は毎年事故が起きているらしいんですが、怪我人は居ないという専らの噂。どういうことかと言うと、事故が起きたら「怪我で帰れる」レベルの事故では決して済まないということだそうで。そう言えば明後日から予定している大杉谷も滑落死亡事故の多発地帯だったような(苦笑)
★本日の気分:「Udo Voodoo」(Special EFX)
霞ケ浦帆引き船
2003年7月27日★霞ヶ浦の夏の風物詩「帆引き船」を観に茨城・霞ケ浦町まで。
霞ヶ浦大橋を通って霞ケ浦町に入り、湖畔の土手の傍にある「水族館前の駐車場」に車を停める。ここより土手を右手に150m程行くとごくごく小さな漁港・志戸崎漁港があって、ここが「観光帆引き船」乗船場らしい。並んでいるのは殆どが年配の方ばかり。今日がたまたま年齢層が偏っていたのか、それとも私ぐらい以下の年齢の人間は帆引き船には興味を持たないのか。
ここ霞ケ浦町の「観光帆引き船」は今日が初出帆なのだそうで、纏め役の方の挨拶と船頭さんの紹介、それに安全祈願などをやっていた模様。霞ケ浦町のwebに拠れば先週が初出帆だった筈なのだけれど、先週は風雨が強くて出なかったのだそうで。この「観光帆引き船」は元々ここ霞ケ浦町が始めたものらしいのだけれど、最近は土浦市と玉造町でもやっているそうで、そのどちらかは先週一応は出帆したらしい。地理的条件を考えると最も風の影響を受けそうなのは霞ケ浦町な訳で、かなりの不利を強いられるのではないかと推定されるのだけれど、逆に言えば一番迫力のある風景を眺められるということでもある。
13時になったので、ライフジャケットを受取ってから、随伴船に乗り込む。随伴船と言っても普段は小型漁船なので、それなりに派手に浮いたり沈んだりする。随伴船は計4艘で、対する帆引き船は2艘。旧来は風の力だけで移動していたであろうこの帆引き船も、今の「観光仕様」のものはエンジン付きで、スタートポイントまでは一気に快走し、対岸の玉造町の傍まで走ってから漸く帆を揚げる。帆だけではバランスが取れないから、昔の通りに網も投げる。帆で受けた風力と網で受けた水抵抗のバランスで進行方向が決まるというのがこの帆引き船の運動の原理らしい。なおこの帆引き船、写真などで見ると随分と大きく感じるので勝手に小型帆船ぐらいなものかと想像していたのだけれど、実際は船の部分だけなら小型漁船と同じぐらいと結構小さい。それでも帆をいっぱいに張るとなかなかの迫力があって、見応えは十分あるので心配はご無用。
帆引き船が帆を揚げると、随伴船はそれを取り囲むようにくるくる周囲を回る。最初の数回は皆懸命に写真を撮っていたようなのだけれど、何度も何度も回ってくれるので、段々皆写真を撮らなくなってくる。まぁ確かに銀塩フィルムだと36枚ぐらいがMAXだからどうしようも無いのだけれど。結局、時間にして1時間程はたっぷり回ってくれたらしい。気が付くとスタート時点ですぐ近くに見えていた玉造町が遥か遠方に遠ざかっていて、霞ヶ浦町の海岸に随分と近づいてきている。様々な角度から眺める帆引き船は、それぞれに違った表情を見せてくれるのが面白い。個人的には自分から見て左手から右手に風が吹いている時、2艘が微妙に重なるぐらいの具合がもっとも勇壮で優雅に見えると思うのだがどうだろうか。対して、帆を正面から見ると、これは何となくユーモラスな感じ。
1時間余の遊覧を終え、出発点の漁港に戻る。初出帆の記念に、乗客全員に「佃煮」をプレゼントしてくれる。ちょっとお得な気分である。
★これから帆引き船の撮影をしたいという方の為に少々Tips。帆引き船は風の有る時しか出航しないので、当然のことだけれど湖上はかなり波がある。帆引き船はあまり揺れないようだが、随伴船の方はそこそこ揺れるので、出来るだけ速いシャッタースピードを取れるようにF値の小さな明るいレンズのご用意を。焦点距離については、風景込みで2艘纏めて撮影してもワイド側で(35mm換算で)50mmあれば十分。80mmでも大丈夫かと。テレ側は写す対象によるけれど、それでも200mmも要らないかと。
★なお、本日の写真の抜粋を「夢旅人の写真館」にupしたので、宜しければ是非。先日の北海道編も併せてup済みなのでこちらもどうぞ。
http://homepage.mac.com/hyperdream/PhotoAlbum12.html
★帰途、JA土浦農産物直売所にて、特産のレンコン粉末入り「れんこんサブレー『ハスだっぺ』」を購入。形まで蓮根にそっくり(笑) 面白いし味もいいとは言わないけれどそれほど悪くはないし、土産にはいいかも。
霞ヶ浦大橋を通って霞ケ浦町に入り、湖畔の土手の傍にある「水族館前の駐車場」に車を停める。ここより土手を右手に150m程行くとごくごく小さな漁港・志戸崎漁港があって、ここが「観光帆引き船」乗船場らしい。並んでいるのは殆どが年配の方ばかり。今日がたまたま年齢層が偏っていたのか、それとも私ぐらい以下の年齢の人間は帆引き船には興味を持たないのか。
ここ霞ケ浦町の「観光帆引き船」は今日が初出帆なのだそうで、纏め役の方の挨拶と船頭さんの紹介、それに安全祈願などをやっていた模様。霞ケ浦町のwebに拠れば先週が初出帆だった筈なのだけれど、先週は風雨が強くて出なかったのだそうで。この「観光帆引き船」は元々ここ霞ケ浦町が始めたものらしいのだけれど、最近は土浦市と玉造町でもやっているそうで、そのどちらかは先週一応は出帆したらしい。地理的条件を考えると最も風の影響を受けそうなのは霞ケ浦町な訳で、かなりの不利を強いられるのではないかと推定されるのだけれど、逆に言えば一番迫力のある風景を眺められるということでもある。
13時になったので、ライフジャケットを受取ってから、随伴船に乗り込む。随伴船と言っても普段は小型漁船なので、それなりに派手に浮いたり沈んだりする。随伴船は計4艘で、対する帆引き船は2艘。旧来は風の力だけで移動していたであろうこの帆引き船も、今の「観光仕様」のものはエンジン付きで、スタートポイントまでは一気に快走し、対岸の玉造町の傍まで走ってから漸く帆を揚げる。帆だけではバランスが取れないから、昔の通りに網も投げる。帆で受けた風力と網で受けた水抵抗のバランスで進行方向が決まるというのがこの帆引き船の運動の原理らしい。なおこの帆引き船、写真などで見ると随分と大きく感じるので勝手に小型帆船ぐらいなものかと想像していたのだけれど、実際は船の部分だけなら小型漁船と同じぐらいと結構小さい。それでも帆をいっぱいに張るとなかなかの迫力があって、見応えは十分あるので心配はご無用。
帆引き船が帆を揚げると、随伴船はそれを取り囲むようにくるくる周囲を回る。最初の数回は皆懸命に写真を撮っていたようなのだけれど、何度も何度も回ってくれるので、段々皆写真を撮らなくなってくる。まぁ確かに銀塩フィルムだと36枚ぐらいがMAXだからどうしようも無いのだけれど。結局、時間にして1時間程はたっぷり回ってくれたらしい。気が付くとスタート時点ですぐ近くに見えていた玉造町が遥か遠方に遠ざかっていて、霞ヶ浦町の海岸に随分と近づいてきている。様々な角度から眺める帆引き船は、それぞれに違った表情を見せてくれるのが面白い。個人的には自分から見て左手から右手に風が吹いている時、2艘が微妙に重なるぐらいの具合がもっとも勇壮で優雅に見えると思うのだがどうだろうか。対して、帆を正面から見ると、これは何となくユーモラスな感じ。
1時間余の遊覧を終え、出発点の漁港に戻る。初出帆の記念に、乗客全員に「佃煮」をプレゼントしてくれる。ちょっとお得な気分である。
★これから帆引き船の撮影をしたいという方の為に少々Tips。帆引き船は風の有る時しか出航しないので、当然のことだけれど湖上はかなり波がある。帆引き船はあまり揺れないようだが、随伴船の方はそこそこ揺れるので、出来るだけ速いシャッタースピードを取れるようにF値の小さな明るいレンズのご用意を。焦点距離については、風景込みで2艘纏めて撮影してもワイド側で(35mm換算で)50mmあれば十分。80mmでも大丈夫かと。テレ側は写す対象によるけれど、それでも200mmも要らないかと。
★なお、本日の写真の抜粋を「夢旅人の写真館」にupしたので、宜しければ是非。先日の北海道編も併せてup済みなのでこちらもどうぞ。
http://homepage.mac.com/hyperdream/PhotoAlbum12.html
★帰途、JA土浦農産物直売所にて、特産のレンコン粉末入り「れんこんサブレー『ハスだっぺ』」を購入。形まで蓮根にそっくり(笑) 面白いし味もいいとは言わないけれどそれほど悪くはないし、土産にはいいかも。
JTB「旅」8月号臨時増刊「宮脇俊三の旅」
2003年7月26日★近くの書店に立ち寄って、地図と時刻表を購入。ついでに…という訳ではないけれど、JTB「旅」8月号臨時増刊「宮脇俊三の旅」を買う。ぱらりとめくってみた感じでは、最近の「旅」には無いいい出来の内容だったので買う気になったんですが、よくよく読み返してみると殆どの記事が読んだことがあるものばかり。それもその筈、2000年9月の宮脇先生の特集号をそのまま復刻したものだったらしいんですね。復刻以外の記事も少しはあるのだけれど、それも殆どが「旅」バックナンバーからの再録で、私にとって新しかったものと言えば「インタビューCD」ぐらいなものかと。
そう言えばこの臨時増刊号に「宮脇俊三作品実力テスト」と言うのがあって、これはなかなか面白い。宮脇先生の著作を基に、どのような記述があったかを問う29の問題なのだけれど、曰く「著作を読まないですべて答えることができたら、あなたは筋金入りのマニアだ!」だそうで。そうですか、全問即答出来た私は「筋金入りのマニア」なのですね(笑)
★昨日食べられなかった「うにの貝焼」を食す。「貝焼」と言うからには当然火が通っている訳で、うにの香りはするのにポロポロな食感なのはどことなく違和感あったり。白飯に載せても「うに丼」というよりは「うにそぼろご飯」と言った感じ。でもこれはこれでなかなか美味しい。あと、イカの一夜干を適当に切ってバター炒めに。手軽に出来るのに実に美味しい。
そう言えばこの臨時増刊号に「宮脇俊三作品実力テスト」と言うのがあって、これはなかなか面白い。宮脇先生の著作を基に、どのような記述があったかを問う29の問題なのだけれど、曰く「著作を読まないですべて答えることができたら、あなたは筋金入りのマニアだ!」だそうで。そうですか、全問即答出来た私は「筋金入りのマニア」なのですね(笑)
★昨日食べられなかった「うにの貝焼」を食す。「貝焼」と言うからには当然火が通っている訳で、うにの香りはするのにポロポロな食感なのはどことなく違和感あったり。白飯に載せても「うに丼」というよりは「うにそぼろご飯」と言った感じ。でもこれはこれでなかなか美味しい。あと、イカの一夜干を適当に切ってバター炒めに。手軽に出来るのに実に美味しい。
貝焼の恨ミ
2003年7月25日★先日注文した、いわき名産「うにの貝焼」&小名浜近海の魚の干物が到着。今日来るのは分かっていたんで、今夜はウニ丼にしようと楽しみにしていたんですけどね。でもモノが届いてみたら見事なまでにかっちり冷凍されていて、自然解凍するには3時間は掛かるそうで。そんな訳で残念ながら今日のウニ丼は諦めざるを得ませんでした。
その代わり…ではないけれど、小さくて薄めの「目光(メヒカリ)の干物」を少し焼いて食べることに。この目光、亜種(?)も含めて一応日本中に居るらしいんですが、私の知る限り普通の店で売られているのは福島〜茨城、高知、宮崎などと比較的限られている模様。小さい魚なので普通は丸ごとを焼いたり天ぷらにするのがメジャーな食べ方なのだけれど、今回買った店ではこの目光をわざわざ手間をかけて干物に仕立てているという次第。これがまた実に美味しい。干物は軽く炙ると美味しいのだけれど、炙り加減が重要で、決して焦げるまでは焼いてはいけない。干物の脂が僅かに滴り、その脂が焦げた煙によって干物が軽く燻される、この加減を見極めるのが肝要かと。
因みに「うにの貝焼」とはどんなものかというと、北寄貝や蛤の貝殻にウニを詰めて焼いたもので、鶏卵ほどの大きさのもので1000円程度。小名浜産のウニを使った最高級品だと2000円以上はするようですね。
★「現代伊賀忍者ライフ」
http://iganinja.jp/japanese/life/f-menu.html
なるページを発見。最初はウケ狙いなのかと思っていたのだけれど、内容をよく読んでみるとこれがなかなか役に立ちそう。早速「1日の活力維持の術」を試してみる。「朝、わずか5分」とあったので短時間でOKなら便利だと思ったんですが…5分持ちませんでした(汗) これが5分続けられるようになるまで、ちょっと鍛えないとなぁ... (-.-;;;
★仙台発東京行きの臨時快速「ムーンライト東京」に乗っている知人から某MLに投稿があったんですが、それに拠ると乗っているのは「筋金鉄」と「家族連れ」ばかりだそうで。「鉄」はいいとして、家族連れは大変だと思うんですが、どうなんでしょう。第一車輌は583系らしいから背凭れなんか倒れないボックスシートだし、子供も大人も満足に寝られないんじゃないかと。それはともかく、この手の夜行列車の話になるとよく「もう年だから乗れない」とおっしゃる方々が多いようで、私なんかも「ながら2枚」などと言って回りから変人扱いされているクチなんですが、実際に乗ってみると結構年配の方も多くて、夜行列車とトシは関係無いのではと思ったりもするんですよね。要するに「年だから」なんて言う人は、その人が何歳であろうが夜行列車には向いてないということで。斯言う私も座席夜行は余り好きでは無いのです。眠れないからとか疲れるからという理由ではなく、乗客のマナーが極めて悪いから。「夜行列車」ではなく「夜汽車」と呼べた頃は乗客のマナーも良かったし、何より夜更けを過ごす雰囲気に相応しかったなぁ…と思うこと頻り。
その代わり…ではないけれど、小さくて薄めの「目光(メヒカリ)の干物」を少し焼いて食べることに。この目光、亜種(?)も含めて一応日本中に居るらしいんですが、私の知る限り普通の店で売られているのは福島〜茨城、高知、宮崎などと比較的限られている模様。小さい魚なので普通は丸ごとを焼いたり天ぷらにするのがメジャーな食べ方なのだけれど、今回買った店ではこの目光をわざわざ手間をかけて干物に仕立てているという次第。これがまた実に美味しい。干物は軽く炙ると美味しいのだけれど、炙り加減が重要で、決して焦げるまでは焼いてはいけない。干物の脂が僅かに滴り、その脂が焦げた煙によって干物が軽く燻される、この加減を見極めるのが肝要かと。
因みに「うにの貝焼」とはどんなものかというと、北寄貝や蛤の貝殻にウニを詰めて焼いたもので、鶏卵ほどの大きさのもので1000円程度。小名浜産のウニを使った最高級品だと2000円以上はするようですね。
★「現代伊賀忍者ライフ」
http://iganinja.jp/japanese/life/f-menu.html
なるページを発見。最初はウケ狙いなのかと思っていたのだけれど、内容をよく読んでみるとこれがなかなか役に立ちそう。早速「1日の活力維持の術」を試してみる。「朝、わずか5分」とあったので短時間でOKなら便利だと思ったんですが…5分持ちませんでした(汗) これが5分続けられるようになるまで、ちょっと鍛えないとなぁ... (-.-;;;
★仙台発東京行きの臨時快速「ムーンライト東京」に乗っている知人から某MLに投稿があったんですが、それに拠ると乗っているのは「筋金鉄」と「家族連れ」ばかりだそうで。「鉄」はいいとして、家族連れは大変だと思うんですが、どうなんでしょう。第一車輌は583系らしいから背凭れなんか倒れないボックスシートだし、子供も大人も満足に寝られないんじゃないかと。それはともかく、この手の夜行列車の話になるとよく「もう年だから乗れない」とおっしゃる方々が多いようで、私なんかも「ながら2枚」などと言って回りから変人扱いされているクチなんですが、実際に乗ってみると結構年配の方も多くて、夜行列車とトシは関係無いのではと思ったりもするんですよね。要するに「年だから」なんて言う人は、その人が何歳であろうが夜行列車には向いてないということで。斯言う私も座席夜行は余り好きでは無いのです。眠れないからとか疲れるからという理由ではなく、乗客のマナーが極めて悪いから。「夜行列車」ではなく「夜汽車」と呼べた頃は乗客のマナーも良かったし、何より夜更けを過ごす雰囲気に相応しかったなぁ…と思うこと頻り。
匠味?
2003年7月24日★ハンバーガー、多様化の時代へ モスが価格2倍の高級品
http://www.asahi.com/business/update/0723/097.html
ハンバーガーに限らずファーストフード系の食物は余り食べる機会が無いんですが、なんかこう「こだわりの」と言われると試してみたくなったりするんですが。(^^; モスバーガーのサイトによれば、取りあえず今の住み処と同じ市内に1店舗あるのでここを狙ってみようかと。勿論東京辺りに出たらもっと沢山の店舗があるんですが、それ以上に人間が多いですからね。一日10個限定ではとても普通では食べられないでしょう。その点、程々の人口密度のところはその辺が安心な訳で(笑)
ただこのスペシャルバーガー「匠味」、ちょっと気になるのはバンズに「油脂をふんだんに使って」との表記があるのだけれど、これでは肉の旨味と油脂の香りが衝突しそう。逆に油脂を抑えてさっくり感を強調して、肉と小麦の香りを調和させる方針を取った方がいいように思えるんですけど。でもまぁ欧米と違って「油脂多用のパン」に馴らされている大概の日本人向けにはこの方が喜ばれるのかも知れません。何せ「ニッポンの」バーガーですから。(^^;
★モノを買うにはワケがある
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030723/1/
趣意ごもっとも&大意で賛同。私のところに的外れなDMが良く来るのは、私の趣味が我が侭に過ぎるせいでは無かったことが判明しただけでも有り難い(笑) ただ、「ITPro」を標榜するのなら、記事のような「分析」だけでなく実際にどのようなインプリメントをすれば良いのかの指針だけでも示すべきじゃないかと思ったんですが、これは次報に期待しましょう。それにつけてもこの記事に対する「コメント」が実に情けない。「オレはIT技術者であってマーケティングは関係無い」と言わんばかりの意見が殆どで、はっきり言って噴飯もの。「どうやったら売れるか」以前に「どうやったらお客に喜んで貰えるか」を考えないといけないのに、単純に技術的な実装しか考えてないITバカの集団にしか見えないんですがね、これって。
★7/21の日記に書いた「フタロシアニン系CD-Rへのデジカメ写真再バックアップ作業」継続中。取りあえずMOに保存していた時代のファイルは何とかバックアップ完了 into 20枚。あとは(シアニン系)CD-Rにバックアップしてあるものをディスクコピーしていく作業が残っているのだけれど…あと60枚あるんですよねぇ(汗)
http://www.asahi.com/business/update/0723/097.html
ハンバーガーに限らずファーストフード系の食物は余り食べる機会が無いんですが、なんかこう「こだわりの」と言われると試してみたくなったりするんですが。(^^; モスバーガーのサイトによれば、取りあえず今の住み処と同じ市内に1店舗あるのでここを狙ってみようかと。勿論東京辺りに出たらもっと沢山の店舗があるんですが、それ以上に人間が多いですからね。一日10個限定ではとても普通では食べられないでしょう。その点、程々の人口密度のところはその辺が安心な訳で(笑)
ただこのスペシャルバーガー「匠味」、ちょっと気になるのはバンズに「油脂をふんだんに使って」との表記があるのだけれど、これでは肉の旨味と油脂の香りが衝突しそう。逆に油脂を抑えてさっくり感を強調して、肉と小麦の香りを調和させる方針を取った方がいいように思えるんですけど。でもまぁ欧米と違って「油脂多用のパン」に馴らされている大概の日本人向けにはこの方が喜ばれるのかも知れません。何せ「ニッポンの」バーガーですから。(^^;
★モノを買うにはワケがある
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030723/1/
趣意ごもっとも&大意で賛同。私のところに的外れなDMが良く来るのは、私の趣味が我が侭に過ぎるせいでは無かったことが判明しただけでも有り難い(笑) ただ、「ITPro」を標榜するのなら、記事のような「分析」だけでなく実際にどのようなインプリメントをすれば良いのかの指針だけでも示すべきじゃないかと思ったんですが、これは次報に期待しましょう。それにつけてもこの記事に対する「コメント」が実に情けない。「オレはIT技術者であってマーケティングは関係無い」と言わんばかりの意見が殆どで、はっきり言って噴飯もの。「どうやったら売れるか」以前に「どうやったらお客に喜んで貰えるか」を考えないといけないのに、単純に技術的な実装しか考えてないITバカの集団にしか見えないんですがね、これって。
★7/21の日記に書いた「フタロシアニン系CD-Rへのデジカメ写真再バックアップ作業」継続中。取りあえずMOに保存していた時代のファイルは何とかバックアップ完了 into 20枚。あとは(シアニン系)CD-Rにバックアップしてあるものをディスクコピーしていく作業が残っているのだけれど…あと60枚あるんですよねぇ(汗)
相馬と片貝
2003年7月23日★来年のカレンダーをみていて、7/24が土曜日であることが判明。混むのは承知で、来年行くことにしよう>相馬野馬追
http://www.city.haramachi.fukushima.jp/nomaoi/schedule.html
…このイベント、曜日固定ではなくて日にち固定なんで、なかなか行き難いのですよ。
★相馬野馬追よりも更に行き難いのが9/9〜10に開催される「片貝まつり」で、これは日本最大の花火のイベント。世界最大の四尺玉に加えて、真昼の三尺玉の必見だから、最低でも9/10はまるまる片貝にいないといけない。こちらも来年ならこの日が金曜日だから狙い目かなと思ってみたり。
因みになんで平日だと行き難いかというと、出掛けた翌日にしごとしたくないから(笑)
★という訳で、今週末は野馬追直後の相馬を避けて、霞ヶ浦に行ってきます。勿論土曜日に小高に行ってもいいのだけれど、来週から立て続けに予定が入っているから、身の回りの整理を少しはやっておかないといけないし。
★自転車のライトでも省エネはとっても有効
http://members.tripod.co.jp/shakaino/aerkaive/95.html
従来のダイナモライトは漕ぐ時の負荷が大きいし、何よりタイヤの磨耗が気になってなかなか使う気になれなかったんですが、ここで紹介されているハブダイナモや誘導発電機は原理的にも素直だし、是非使ってみたいと思わせるものがありますね。とは言え、私が住んでいる辺りは車密度も高いし、何より坂が多くてなかなか自転車を使いにくいという難点があったりするんですが。(^^;
http://www.city.haramachi.fukushima.jp/nomaoi/schedule.html
…このイベント、曜日固定ではなくて日にち固定なんで、なかなか行き難いのですよ。
★相馬野馬追よりも更に行き難いのが9/9〜10に開催される「片貝まつり」で、これは日本最大の花火のイベント。世界最大の四尺玉に加えて、真昼の三尺玉の必見だから、最低でも9/10はまるまる片貝にいないといけない。こちらも来年ならこの日が金曜日だから狙い目かなと思ってみたり。
因みになんで平日だと行き難いかというと、出掛けた翌日にしごとしたくないから(笑)
★という訳で、今週末は野馬追直後の相馬を避けて、霞ヶ浦に行ってきます。勿論土曜日に小高に行ってもいいのだけれど、来週から立て続けに予定が入っているから、身の回りの整理を少しはやっておかないといけないし。
★自転車のライトでも省エネはとっても有効
http://members.tripod.co.jp/shakaino/aerkaive/95.html
従来のダイナモライトは漕ぐ時の負荷が大きいし、何よりタイヤの磨耗が気になってなかなか使う気になれなかったんですが、ここで紹介されているハブダイナモや誘導発電機は原理的にも素直だし、是非使ってみたいと思わせるものがありますね。とは言え、私が住んでいる辺りは車密度も高いし、何より坂が多くてなかなか自転車を使いにくいという難点があったりするんですが。(^^;
ぶち願望
2003年7月22日★突然脈絡も無く行ってみたいところアリ。明日から始まる相馬野馬追…は今年はちょっと無理そうだから仕方ないとして、その近くの小高にある磨崖仏を観に行きたくなってしまいました。思い立ったが吉日、今週末にでも観に行ってみようかな?
★観たいと言えば、霞ヶ浦の「観光帆引き船」、今年の操業が昨日から始まったようです。随伴船は基本的に日曜日しか出ないんで、どうせ行くのならこの日曜が吉かと。…ええっと…小高か霞ヶ浦、どちらかにしましょうね>自分(苦笑)
・「観光帆引き船・操業のお知らせ」
http://www.town.kasumigaura.ibaraki.jp/pages/news/hobiki2003.htm
★そうか、東京の「丸ビル」って「丸の内にあるから」そう呼ぶんですね。大阪マルビルみたいに丸いから…じゃないんですね。なんで丸くないのにそう呼ぶのか、ずっと不思議に思ってたんですよ(笑) (^^;;;
★観たいと言えば、霞ヶ浦の「観光帆引き船」、今年の操業が昨日から始まったようです。随伴船は基本的に日曜日しか出ないんで、どうせ行くのならこの日曜が吉かと。…ええっと…小高か霞ヶ浦、どちらかにしましょうね>自分(苦笑)
・「観光帆引き船・操業のお知らせ」
http://www.town.kasumigaura.ibaraki.jp/pages/news/hobiki2003.htm
★そうか、東京の「丸ビル」って「丸の内にあるから」そう呼ぶんですね。大阪マルビルみたいに丸いから…じゃないんですね。なんで丸くないのにそう呼ぶのか、ずっと不思議に思ってたんですよ(笑) (^^;;;
困惑...
2003年7月21日★とあるカセットテープをAACに変換しようとしたところ、既に身の回りにカセットテープを再生出来る環境が無いことに気付く。何とか押し入れの奥から古いラジカセを取り出しては来たものの、今度は録音用のソフトが無い。四苦八苦して結局ClassicでCD Spin Doctorを起動して録音したのだけれど、語学テープは合間が多いせいか、どうも自動レベル調整でハネられてしまうらしい。そんな訳で今回は録音に失敗。そんなことよりも今時カセットしか置いてないなんてアナクロな状態を何とかしてください>白水社
★昨日書いたCD-Rメディアですが、結局30km程離れたところにあるヤマダ電機の店頭在庫処分で、リコーと同じフタロシアニン系の三井化学のメディアがあったんで、700MBのを120枚全部買い占めて来ました。取りあえずこれで暫くは大丈夫かな?
★昨日書いたCD-Rメディアですが、結局30km程離れたところにあるヤマダ電機の店頭在庫処分で、リコーと同じフタロシアニン系の三井化学のメディアがあったんで、700MBのを120枚全部買い占めて来ました。取りあえずこれで暫くは大丈夫かな?
CD-R Media
2003年7月20日★九州地域は未だ集中豪雨状態のようですね。該地域にお住まいの皆さま、どうかご無事でおられますように。
因みにどうでも良いことですが、私が住んでいる辺りなぞ、今日の日中にはしっかりと陽が射してました。こうも雨の気配が無いと、また夏の終わりぐらいになったら水不足騒動でも起きそうな感じ。気温の方も妙に低いし…。
★あと、更にどうでもいいことなんですが、今日も出勤日でした(怒)
★ご存知の方には今更...な話なんですが、「CD-R Maniacs」に拠ると、どうやら長期保存性に関してはリコーのメディアが一番いいみたいですね。安くてそこそこ安定しているように思えたんで太陽誘電の買ってたんですが、これはちょっと方針変更しないといけないかも。なんでこんなことを急に調べだしたのかというと、先日突然バックアップ用の外部HDDが認識しなくなって、この時はDrive10を使って復旧はしたのだけれど、手抜きしてこの外部HDDにしか入れてなかったデータがあった少々肝を冷やしたから。基本的に自分で作ったデータはCD-Rに全部録ってはあるのだけれど、このHDDと同様に録っておいたCD-Rが急に読めなくなってしまったら滅茶苦茶困るなと思った訳で。それで今使っているCD-Rの耐久性を調べたくなって...というのが今回の調査の主旨だったんですが、そうですか、太陽誘電のはそんなに良くは無いんですね。自分で作ったデータと言っても殆どはデジカメ写真だから高々30GBぐらいだし、保存性に安心感のあるリコーメディアを一気に50枚ほど買って来て、ぽつぽつバックアップ取り直しますかね。でも私の場合、CD-Rバックアップは「2枚ずつ録る」のがデフォだから、100枚買ってこないといけないのか。それでも25枚入りスピンドルで4箱、大した数じゃない。それよりも一番の問題は、この近くでリコーのメディアが買えるかどうか。
・CD-R Maniacs
http://www.cdr.ne.jp/
★NHKニュース放送
http://www.tkl.iis.u-tokyo.ac.jp/~toyoda/cgi-bin/NewsCaster.cgi
…机叩いて笑ってしまう私の方がおかしいんでしょうか?(爆)
因みにどうでも良いことですが、私が住んでいる辺りなぞ、今日の日中にはしっかりと陽が射してました。こうも雨の気配が無いと、また夏の終わりぐらいになったら水不足騒動でも起きそうな感じ。気温の方も妙に低いし…。
★あと、更にどうでもいいことなんですが、今日も出勤日でした(怒)
★ご存知の方には今更...な話なんですが、「CD-R Maniacs」に拠ると、どうやら長期保存性に関してはリコーのメディアが一番いいみたいですね。安くてそこそこ安定しているように思えたんで太陽誘電の買ってたんですが、これはちょっと方針変更しないといけないかも。なんでこんなことを急に調べだしたのかというと、先日突然バックアップ用の外部HDDが認識しなくなって、この時はDrive10を使って復旧はしたのだけれど、手抜きしてこの外部HDDにしか入れてなかったデータがあった少々肝を冷やしたから。基本的に自分で作ったデータはCD-Rに全部録ってはあるのだけれど、このHDDと同様に録っておいたCD-Rが急に読めなくなってしまったら滅茶苦茶困るなと思った訳で。それで今使っているCD-Rの耐久性を調べたくなって...というのが今回の調査の主旨だったんですが、そうですか、太陽誘電のはそんなに良くは無いんですね。自分で作ったデータと言っても殆どはデジカメ写真だから高々30GBぐらいだし、保存性に安心感のあるリコーメディアを一気に50枚ほど買って来て、ぽつぽつバックアップ取り直しますかね。でも私の場合、CD-Rバックアップは「2枚ずつ録る」のがデフォだから、100枚買ってこないといけないのか。それでも25枚入りスピンドルで4箱、大した数じゃない。それよりも一番の問題は、この近くでリコーのメディアが買えるかどうか。
・CD-R Maniacs
http://www.cdr.ne.jp/
★NHKニュース放送
http://www.tkl.iis.u-tokyo.ac.jp/~toyoda/cgi-bin/NewsCaster.cgi
…机叩いて笑ってしまう私の方がおかしいんでしょうか?(爆)
猫の恩返し
2003年7月19日★本日、しごとの日でした。明日もしごとの日です。休日出勤ではアリマセン。出勤日が滅茶苦茶変則なんです。
…東京電力のせいで(呆)
★発売日に買っておきながら北海道への旅もあって今日まで開封してなかったスタジオジブリ「猫の恩返し」を観る。この作品の原作「バロン−猫の男爵」は、私の大ファンの柊あおい先生の作品なんで、そういう経緯があってこのDVDを買ったという理由もあったりします。柊先生の作品は、これ以前にも「耳をすませば」が映画化されてはいるんですが、こちらは原作とは全く違う作品と言ってもいい作りになっていて、余りの違いに唖然としたものです。が、今回の「猫の恩返し」は、原作を活かしながら映像作品ならではの効果を加えていて、なかなか悪くない出来ではないかと思ったり。それでも柊先生独特の描写の「間」の素晴らしさは、流石に映像作品には出し切れてないなというのが正直なところ。
見終わってぼんやりとエンディングのスタッフロールを眺めていると、白鳥由里さんのお名前が。どの役で出てらしたのか気になるなぁ…などと思っていたら、そのすぐ下に「鈴井貴之 大泉洋 安田顕」という文字が。あれぇ?(笑)
…東京電力のせいで(呆)
★発売日に買っておきながら北海道への旅もあって今日まで開封してなかったスタジオジブリ「猫の恩返し」を観る。この作品の原作「バロン−猫の男爵」は、私の大ファンの柊あおい先生の作品なんで、そういう経緯があってこのDVDを買ったという理由もあったりします。柊先生の作品は、これ以前にも「耳をすませば」が映画化されてはいるんですが、こちらは原作とは全く違う作品と言ってもいい作りになっていて、余りの違いに唖然としたものです。が、今回の「猫の恩返し」は、原作を活かしながら映像作品ならではの効果を加えていて、なかなか悪くない出来ではないかと思ったり。それでも柊先生独特の描写の「間」の素晴らしさは、流石に映像作品には出し切れてないなというのが正直なところ。
見終わってぼんやりとエンディングのスタッフロールを眺めていると、白鳥由里さんのお名前が。どの役で出てらしたのか気になるなぁ…などと思っていたら、そのすぐ下に「鈴井貴之 大泉洋 安田顕」という文字が。あれぇ?(笑)
宇宙船アルファルファ
2003年7月18日★本日、東京まで出張。折角東京まで出たのだから、どこか電気屋さんやら食事処やらに立ち寄ってきても良さそうなものなのだけれど、何となく気分的に長居する気になれなかったんで、何処にも寄らずにさっさと帰ってきました。暫くの間ひたすら自然の中にいたから、その反動が大き過ぎたのかも。
★出張ついでに最寄り駅にて、事前に「えきねっと」経由で予約しておいた7/30「ムーンライトながら91」&8/4「ムーンライトながら92」の指定券を購入。大杉谷と大台ヶ原が呼んでいるので、次回はそちらに行く予定。会員にもなっている「モクモク手づくりファーム」にも立ち寄る予定。
・モクモク手づくりファーム
http://www.moku-moku.com/
★「日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム」なるページを発見。これを頼りに、郷土玩具を訪ねるのをメインにした旅というのも面白そう。因みにここの「大分県編(3)」に、「水曜どうでしょう」ゆかりの「竹田の姫だるま」が掲載されてます。数多くの「『水どう』巡礼者」よろしく、私も訪ねてみようかななどと思ってみたり。
・日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hds30/kgall.html
★アルファルファが宇宙船の名前だったり、湯豆腐が笑ったりする感性って…私と共通する部分があって、かなりいいかも:旅先でたまたま入手したコミックス「朝からピカ☆ピカ」(山口美由紀)収録の作品「宇宙船アルファルファ」を読んで。
★出張ついでに最寄り駅にて、事前に「えきねっと」経由で予約しておいた7/30「ムーンライトながら91」&8/4「ムーンライトながら92」の指定券を購入。大杉谷と大台ヶ原が呼んでいるので、次回はそちらに行く予定。会員にもなっている「モクモク手づくりファーム」にも立ち寄る予定。
・モクモク手づくりファーム
http://www.moku-moku.com/
★「日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム」なるページを発見。これを頼りに、郷土玩具を訪ねるのをメインにした旅というのも面白そう。因みにここの「大分県編(3)」に、「水曜どうでしょう」ゆかりの「竹田の姫だるま」が掲載されてます。数多くの「『水どう』巡礼者」よろしく、私も訪ねてみようかななどと思ってみたり。
・日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hds30/kgall.html
★アルファルファが宇宙船の名前だったり、湯豆腐が笑ったりする感性って…私と共通する部分があって、かなりいいかも:旅先でたまたま入手したコミックス「朝からピカ☆ピカ」(山口美由紀)収録の作品「宇宙船アルファルファ」を読んで。
釧路町難読地名
2003年7月17日★一昨日、川又温泉で刺されたと思わしきブヨの噛み痕が昨夜ぐらいから痒くなってきていたり。ムヒ軟膏を塗って凌いでいるのだけれど、この痒み、何とかならないものかと。北海道最終日は半分おまけのような気分で、それまでのように用心して虫除けとか振らなかったり裸足にサンダルのようなスタイルで林間に暫くいたから、その時にやられてしまったんですが…如何なる場合でも自然を嘗めてはいけませんな、全く。(-.-;;;
★北海道放浪中にデジカメ写真を整理していて、7/13に撮った「釧路町難読地名板」に載っていた、実に不可思議な漢字表記の地名をここに纏めておこうかと思い立って、一通り写してみました。件の釧路町でも「釧路町難読地名クイズ」なるものを用意してくれているんですが、こちらはアイヌ語表記に忠実になっているらしく、地名板の表記とは少々異なっているので、一応書き写したのをここに記録:
仙鳳趾(センポウシ)
古番屋(フルバンヤ)
別尺泊(ベツシャクドマリ)
尻羽(シリッパ)
去来牛(サルキウシ)
知方学(チッポマナイ)
老者舞(オシャマップ)
分遣瀬(ワカチャラセ)
賤向夫(セキネップ)
入境学(ニコマナイ)
初無敵(ソンテキ)
冬窓床(ブユマ)
跡永賀(アトエカ)
浦雲泊(ポンドマリ)
十町瀬(トマチセ)
来止臥(キトウシ)
幌内(ポロナイ)
伏古(フシコ)
昆布森(コンブモリ)
城山(シロヤマ)
宿徳内(シュクトクナイ)
又飯時(マタイトキ)
別保(ベッポ)
・釧路町難読地名クイズ
http://www.town.kushiro.hokkaido.jp/kankou/html/drive/sea/nandoku/index.html
★近くの店で(生の)杏を見つけたので早速購入。干し杏も美味しいけれど、やはり生の爽やかさは他に較べようが無い。杏好きな私としては、観光農園に「杏狩り」なんてのが無いものかと本気で思っていたり(笑)
★北海道放浪中にデジカメ写真を整理していて、7/13に撮った「釧路町難読地名板」に載っていた、実に不可思議な漢字表記の地名をここに纏めておこうかと思い立って、一通り写してみました。件の釧路町でも「釧路町難読地名クイズ」なるものを用意してくれているんですが、こちらはアイヌ語表記に忠実になっているらしく、地名板の表記とは少々異なっているので、一応書き写したのをここに記録:
仙鳳趾(センポウシ)
古番屋(フルバンヤ)
別尺泊(ベツシャクドマリ)
尻羽(シリッパ)
去来牛(サルキウシ)
知方学(チッポマナイ)
老者舞(オシャマップ)
分遣瀬(ワカチャラセ)
賤向夫(セキネップ)
入境学(ニコマナイ)
初無敵(ソンテキ)
冬窓床(ブユマ)
跡永賀(アトエカ)
浦雲泊(ポンドマリ)
十町瀬(トマチセ)
来止臥(キトウシ)
幌内(ポロナイ)
伏古(フシコ)
昆布森(コンブモリ)
城山(シロヤマ)
宿徳内(シュクトクナイ)
又飯時(マタイトキ)
別保(ベッポ)
・釧路町難読地名クイズ
http://www.town.kushiro.hokkaido.jp/kankou/html/drive/sea/nandoku/index.html
★近くの店で(生の)杏を見つけたので早速購入。干し杏も美味しいけれど、やはり生の爽やかさは他に較べようが無い。杏好きな私としては、観光農園に「杏狩り」なんてのが無いものかと本気で思っていたり(笑)
北海道放浪記 〜12日目〜
2003年7月16日★昨日を以て今回の北海道の旅は終了。リフレッシュしたのかと言うとしてない訳ではないけれど、却ってまたどこかに行きたいという願望の方が強くなってよろしくなかったり(苦笑)
★19時の大洗到着まで、寝たりぼんやりしたり、日記を纏め直したりする。フルバージョンの日記は毎日書いていたので「ぷち」向けに編集するのは簡単と踏んでいたのだけれど、結構カットする部分が難しい。という訳で、あまり上手くは纏まらなかったのだけれど、取りあえず雰囲気だけは伝わるだろうという文章には切り取り出来たかなと思う。
★フェリーの中で印象的だったのは、レストランの案内が妙に頻繁だったこと。そもそもそんなに乗客がいなくて結構空いているというのもあるのだろうけれど、朝食バイキングが1000円、昼食のカレーライスが800円、夕食バイキングが1600円では余り行く人も居ないでしょう。何度も案内放送が入るということは、余程人が入ってないのか?と邪推してみたり(笑)
★そんな訳で、取りあえず帰宅しました。それでは計13日分の「ぷち日記」を一気にどうぞ(笑)
★19時の大洗到着まで、寝たりぼんやりしたり、日記を纏め直したりする。フルバージョンの日記は毎日書いていたので「ぷち」向けに編集するのは簡単と踏んでいたのだけれど、結構カットする部分が難しい。という訳で、あまり上手くは纏まらなかったのだけれど、取りあえず雰囲気だけは伝わるだろうという文章には切り取り出来たかなと思う。
★フェリーの中で印象的だったのは、レストランの案内が妙に頻繁だったこと。そもそもそんなに乗客がいなくて結構空いているというのもあるのだろうけれど、朝食バイキングが1000円、昼食のカレーライスが800円、夕食バイキングが1600円では余り行く人も居ないでしょう。何度も案内放送が入るということは、余程人が入ってないのか?と邪推してみたり(笑)
★そんな訳で、取りあえず帰宅しました。それでは計13日分の「ぷち日記」を一気にどうぞ(笑)
北海道放浪記 〜11日目〜
2003年7月15日★北海道での最終日、苫小牧での朝を迎える。なんかこう騒々しい街の中のビジネスホテルで目が覚めるのも今回の旅では初めてのことなんで、かなり違和感がある。
★今日は最初にまず、メインイベント・川又温泉に向かう。苫小牧市内は信号がやたらに多くて、なかなか先に進まない。道東辺りと違って普通に走っていても平均60km/h出るという常識はこの辺では通用しないらしい。そんな訳で、時間を稼ぐ為に苫小牧西ICより道央自動車道に乗る。
川又温泉への道は、登別室蘭IC近くの幌別ダムの側を通って道道327号線を北上すれば良い。比較的走りやすい道道には「鉱山町」という表示とともに「この先行止り」との表記もある。
道道の舗装区間が終わると、その先には何本もの林道が続いている。林道案内板の中に川又温泉の表記があって、少々安心する。看板に従って林道を進むが、かなりの悪路で全然速度が出せない。しかも林道の途中には川又温泉の案内板は一つもなく、先日の薫別温泉のこともあって少々不安になってくる。林道入口の看板によれば、「パラピッツの森」なる大看板の先にある橋を渡って右手の林道を進めばいい筈なのだが、この道が極めて狭い道で、路盤の砂利も深く、先程にも増して速度が出ず、10〜15km/h程度が限界になる。対向車が来れば擦れ違いようがないような道を延々と進み、少し広がったところに着く。ここから先は車では進めないので、車を停めて辺りを調べてみると果たして川又温泉の小さな案内板がある。山用の靴下と登山靴を履いて、ストックを1本だけ持ち、念の為に熊鈴を着けて山道に入る。
歩き始めはそこそこに歩きやすく、この程度を800mなら然程苦労は無いだろうと思ったのだが、300m程進んだ所で二本の川の合流点付近に出来た河原がある場所に突き当たる。ここまでの踏み分け道に分岐は無かったから、この先のルートとしては川を渡るしかない。1回目の徒渉で一つ目の川を渡るが、これは踏み石がそこそこにあって何とか渡れる。が、中洲に渡ったところで道が分からなくなって一瞬迷う。巨岩が転がる河原と、そこから続く樹木帯の切れ目付近に踏み分け道を見つけたのだけれど、そのまま進むともう一つの川を横切るようにロープが張られている。ロープは黒・黄のトラロープで、普通に考えればこの先の沢に進入禁止と取れる。かと言って別の踏み分け道はなく、思案に暮れていたところ、件のロープの先に「川又温泉」の小さな案内板があるのを発見。
件のロープを伝う2回目の徒渉なのだが、ここはどう考えても水の中を進まないといけない。靴と靴下を脱いでズボンを膝まで捲り上げて川に入ると、流速がかなり速くて足を取られそうになる。足の踏み込み位置も余り考えずに歩いた為に深みに嵌まってしまったりして少々慌てる。が、何とか対岸に渡ることに成功。
数mのアップダウンの後、入口より650m程度の場所で再び河原に出る。河原では踏み分け道など無いし、かと言って案内板を探そうにもそんなものは全く見当たらない。石伝いに対岸に渡り、更に河原を遡上していくと、再び踏み分け道を発見。
沢に沿って川の左側を歩く。100m程歩いたところで二本の流れが合流して小さな滝になっている箇所があり、この辺で微かな硫黄の香りがしてくる。滝を越えると、川の対岸に突然、湯船と脱衣所が現れる。山道の入口から約800m、やっと辿り着いた川又温泉であるが、温泉に入るにはもう一度川を渡らなければならない。4回目の徒渉は2回目並に深く、温泉を目の前にして再び靴を脱ぐことになる。
この川又温泉、湯船の下の泥の間から湯が湧いているらしく、浸かっている限りではそれほど湧出量は無さそうに思えるのだけれど、湯船から流れ出す湯量を見ていると結構な量の湯が湧いているらしい。湯温は低めで体温より少し上と言ったところか。いつまでも浸かっていられそうな感じではあったのだけれど、適当に切り上げて戻ることにする。帰途は苦労することも無く駐車スペースまで帰着。狭い林道も幸い擦れ違う車も無く、道道すぐ近くのかなり広くなった辺りでバイク1台と擦れ違ったのみ。
★洞爺湖に向かい、虻田町立火山科学館を訪ねる。入館料は600円とこの手の公営施設にしては高額なのだけれど、2000年の有珠山噴火の実態を目の当たりにさせてくれるという意味で、十分に訪ねる価値がある科学館ではないかと。展示物や写真もいいけれど、記録映像は必見。ここ火山科学館で、金比羅山火口へのアクセス道路は工事中で入れないとの情報を得る。西山火口の方は車で行けるそうなので、早速そちらに向かってみる。
西山火口周辺は散策路として整備されていて、火口の脇を通過する形で南北に縦断する道が設置されている。温泉街に近い北口の駐車場はかなりの賑わいで、土産物店なども多く、良く分からない歌謡曲などを流していたりして雰囲気ぶち壊しである。公営駐車場の駐車料金は300円、この旅始まって以来、駐車料金を支払ったのはこれが初めてなのだが、散策路の整備費用の回収などを考えると止むを得ないかも知れない。しかし、そんな現実的な思いも、駐車場すぐ傍に広がる西山火口沼を観た瞬間に吹き飛んでしまう。隆起と陥没によって国道230号線が沼に沈んだ衝撃的な映像。その映像のままの世界が目の前に展開しているのだから。
西山火口沼の脇を抜けるような形で設置されている遊歩道だが、この急激な登りは、元々平坦だった町道泉公園線を流用したもの。散策路に指定されている部分には木道が設置されているものの、すぐ横には亀裂が入ったアスファルトや折れた電柱、道路標識などがそのままの形で残されているのが生々しい。散策路には展望台が2箇所設置されていて、その間にある火口からは破砕された水道管や、水道管補修の為に噴火直前まで作業をしていて、緊急脱出した為に取り残された重機などが埋もれているのも見て取れる。位置的にはこの火口の真上の町道が、隣の今水蒸気を上げている火口の真上の国道230号線が通過していたことになる訳で、2000年噴火の予知の正確さが大惨事を逃れた一番の立役者であったことは言を待たない。北口から登ってきた人々の殆どは展望台で引き返すのだが、この散策路の必見箇所はその先。完膚無きまでに破砕された「わかさいも」工場に宙に浮くかのようにばらされた幾つもの住宅、6mもの高低差で分解された町道に、有らぬ方向に捩じ曲げられた歩道の鉄柵。活断層の存在もはっきりと観てとれ、如何に凄まじい地殻変動が発生したのかを身をもって実感することが出来るのだ。そして極め付けは火山弾で破壊された「とうやこようちえん」。ここはもう既に散策路の南端なのだけれども、多少大変であっても是非ともここまでは歩いて貰いたいと思う。
西山火口駐車場の脇から、西山と金比羅山の間に残った山の上に登る道路があり、ここを辿れば金比羅山火口が見られるらしい。ただしこの道路の終点にある駐車場、個人が経営しているそうで、駐車料金は何と1000円。余りにぼったくりだとは思ったのだけれど、ここまで来て金比羅山火口を観ないのも惜しいので、大枚を払って登ってみる。実際に登って見ると、山頂からは金比羅山火口のほぼ全貌を上から見下ろすことが出来るだけでなく、洞爺湖や中島、遠くは後方羊蹄山や噴火湾まで見通すことが出来てなかなかの絶景。先程の西山火口も斜め上から見下ろせ、噴火現場をほぼ一望出来るというロケーション。高額な駐車料金に引き返す車が多い現状からすれば、せめて半額にしておけば、遥かに来客数が増えて却って収入増だと思うのだが、どうだろうか。
★21時半頃、苫小牧港到着。今日の大洗行きフェリーはかなり空いているらしい。出発時刻になっても空いている寝台がかなりあって、これでは船会社も経営が大変だろうと思う。ともあれ、乗船してすぐに就寝。
★今回の旅での北海道内の総走行距離は2636.4km。私にしては少々走り過ぎたかも知れない。
★今日は最初にまず、メインイベント・川又温泉に向かう。苫小牧市内は信号がやたらに多くて、なかなか先に進まない。道東辺りと違って普通に走っていても平均60km/h出るという常識はこの辺では通用しないらしい。そんな訳で、時間を稼ぐ為に苫小牧西ICより道央自動車道に乗る。
川又温泉への道は、登別室蘭IC近くの幌別ダムの側を通って道道327号線を北上すれば良い。比較的走りやすい道道には「鉱山町」という表示とともに「この先行止り」との表記もある。
道道の舗装区間が終わると、その先には何本もの林道が続いている。林道案内板の中に川又温泉の表記があって、少々安心する。看板に従って林道を進むが、かなりの悪路で全然速度が出せない。しかも林道の途中には川又温泉の案内板は一つもなく、先日の薫別温泉のこともあって少々不安になってくる。林道入口の看板によれば、「パラピッツの森」なる大看板の先にある橋を渡って右手の林道を進めばいい筈なのだが、この道が極めて狭い道で、路盤の砂利も深く、先程にも増して速度が出ず、10〜15km/h程度が限界になる。対向車が来れば擦れ違いようがないような道を延々と進み、少し広がったところに着く。ここから先は車では進めないので、車を停めて辺りを調べてみると果たして川又温泉の小さな案内板がある。山用の靴下と登山靴を履いて、ストックを1本だけ持ち、念の為に熊鈴を着けて山道に入る。
歩き始めはそこそこに歩きやすく、この程度を800mなら然程苦労は無いだろうと思ったのだが、300m程進んだ所で二本の川の合流点付近に出来た河原がある場所に突き当たる。ここまでの踏み分け道に分岐は無かったから、この先のルートとしては川を渡るしかない。1回目の徒渉で一つ目の川を渡るが、これは踏み石がそこそこにあって何とか渡れる。が、中洲に渡ったところで道が分からなくなって一瞬迷う。巨岩が転がる河原と、そこから続く樹木帯の切れ目付近に踏み分け道を見つけたのだけれど、そのまま進むともう一つの川を横切るようにロープが張られている。ロープは黒・黄のトラロープで、普通に考えればこの先の沢に進入禁止と取れる。かと言って別の踏み分け道はなく、思案に暮れていたところ、件のロープの先に「川又温泉」の小さな案内板があるのを発見。
件のロープを伝う2回目の徒渉なのだが、ここはどう考えても水の中を進まないといけない。靴と靴下を脱いでズボンを膝まで捲り上げて川に入ると、流速がかなり速くて足を取られそうになる。足の踏み込み位置も余り考えずに歩いた為に深みに嵌まってしまったりして少々慌てる。が、何とか対岸に渡ることに成功。
数mのアップダウンの後、入口より650m程度の場所で再び河原に出る。河原では踏み分け道など無いし、かと言って案内板を探そうにもそんなものは全く見当たらない。石伝いに対岸に渡り、更に河原を遡上していくと、再び踏み分け道を発見。
沢に沿って川の左側を歩く。100m程歩いたところで二本の流れが合流して小さな滝になっている箇所があり、この辺で微かな硫黄の香りがしてくる。滝を越えると、川の対岸に突然、湯船と脱衣所が現れる。山道の入口から約800m、やっと辿り着いた川又温泉であるが、温泉に入るにはもう一度川を渡らなければならない。4回目の徒渉は2回目並に深く、温泉を目の前にして再び靴を脱ぐことになる。
この川又温泉、湯船の下の泥の間から湯が湧いているらしく、浸かっている限りではそれほど湧出量は無さそうに思えるのだけれど、湯船から流れ出す湯量を見ていると結構な量の湯が湧いているらしい。湯温は低めで体温より少し上と言ったところか。いつまでも浸かっていられそうな感じではあったのだけれど、適当に切り上げて戻ることにする。帰途は苦労することも無く駐車スペースまで帰着。狭い林道も幸い擦れ違う車も無く、道道すぐ近くのかなり広くなった辺りでバイク1台と擦れ違ったのみ。
★洞爺湖に向かい、虻田町立火山科学館を訪ねる。入館料は600円とこの手の公営施設にしては高額なのだけれど、2000年の有珠山噴火の実態を目の当たりにさせてくれるという意味で、十分に訪ねる価値がある科学館ではないかと。展示物や写真もいいけれど、記録映像は必見。ここ火山科学館で、金比羅山火口へのアクセス道路は工事中で入れないとの情報を得る。西山火口の方は車で行けるそうなので、早速そちらに向かってみる。
西山火口周辺は散策路として整備されていて、火口の脇を通過する形で南北に縦断する道が設置されている。温泉街に近い北口の駐車場はかなりの賑わいで、土産物店なども多く、良く分からない歌謡曲などを流していたりして雰囲気ぶち壊しである。公営駐車場の駐車料金は300円、この旅始まって以来、駐車料金を支払ったのはこれが初めてなのだが、散策路の整備費用の回収などを考えると止むを得ないかも知れない。しかし、そんな現実的な思いも、駐車場すぐ傍に広がる西山火口沼を観た瞬間に吹き飛んでしまう。隆起と陥没によって国道230号線が沼に沈んだ衝撃的な映像。その映像のままの世界が目の前に展開しているのだから。
西山火口沼の脇を抜けるような形で設置されている遊歩道だが、この急激な登りは、元々平坦だった町道泉公園線を流用したもの。散策路に指定されている部分には木道が設置されているものの、すぐ横には亀裂が入ったアスファルトや折れた電柱、道路標識などがそのままの形で残されているのが生々しい。散策路には展望台が2箇所設置されていて、その間にある火口からは破砕された水道管や、水道管補修の為に噴火直前まで作業をしていて、緊急脱出した為に取り残された重機などが埋もれているのも見て取れる。位置的にはこの火口の真上の町道が、隣の今水蒸気を上げている火口の真上の国道230号線が通過していたことになる訳で、2000年噴火の予知の正確さが大惨事を逃れた一番の立役者であったことは言を待たない。北口から登ってきた人々の殆どは展望台で引き返すのだが、この散策路の必見箇所はその先。完膚無きまでに破砕された「わかさいも」工場に宙に浮くかのようにばらされた幾つもの住宅、6mもの高低差で分解された町道に、有らぬ方向に捩じ曲げられた歩道の鉄柵。活断層の存在もはっきりと観てとれ、如何に凄まじい地殻変動が発生したのかを身をもって実感することが出来るのだ。そして極め付けは火山弾で破壊された「とうやこようちえん」。ここはもう既に散策路の南端なのだけれども、多少大変であっても是非ともここまでは歩いて貰いたいと思う。
西山火口駐車場の脇から、西山と金比羅山の間に残った山の上に登る道路があり、ここを辿れば金比羅山火口が見られるらしい。ただしこの道路の終点にある駐車場、個人が経営しているそうで、駐車料金は何と1000円。余りにぼったくりだとは思ったのだけれど、ここまで来て金比羅山火口を観ないのも惜しいので、大枚を払って登ってみる。実際に登って見ると、山頂からは金比羅山火口のほぼ全貌を上から見下ろすことが出来るだけでなく、洞爺湖や中島、遠くは後方羊蹄山や噴火湾まで見通すことが出来てなかなかの絶景。先程の西山火口も斜め上から見下ろせ、噴火現場をほぼ一望出来るというロケーション。高額な駐車料金に引き返す車が多い現状からすれば、せめて半額にしておけば、遥かに来客数が増えて却って収入増だと思うのだが、どうだろうか。
★21時半頃、苫小牧港到着。今日の大洗行きフェリーはかなり空いているらしい。出発時刻になっても空いている寝台がかなりあって、これでは船会社も経営が大変だろうと思う。ともあれ、乗船してすぐに就寝。
★今回の旅での北海道内の総走行距離は2636.4km。私にしては少々走り過ぎたかも知れない。
北海道放浪記 〜10日目〜
2003年7月14日★とうろYHを5時過ぎに出発。今日はひたすら苫小牧まで走る「だけ」の予定なのだけれど、釧路湿原をちらと観るぐらいはいいだろうということで、まずは釧路湿原・細岡展望台へ。右手に達古武湖を観ながら、展望台への細道を走る。釧路川の流れはゆったりしていていい感じなのだけれど、この辺まで来ると水が濁ってしまっていて、それが残念。今回はカヌーには乗らなかったけれど、同じ釧路川を下るのならばやはり上流の方がいいなと思う。細岡展望台では予想通り誰もおらず、湿原の景色を独占する。
★ここからは覚悟を決めて走りに掛かったのだが、思いの外に早く進める。走っているうちに、どうやら帯広到着が早くなり過ぎるような感じになってきたので、ちょっと寄り道を。
★最初の寄り道ポイントは、ここは観光名所としても結構有名どころの豊頃町「はるにれの木」。十勝川の河川敷に2本寄り沿う形で立ったはるにれの木が2組ぽつんと立っているところで、豊頃町一番の名所になっている。つい2ヶ月ほど前にも訪ねているのだが、その時は辺り一面何も無くて、広い地面の上に幹と枝だけの木が立っていたのだけれど、今回は一面の草原になっていて、その中に出来た踏み分け道を辿って、青々と茂ったはるにれの木まで歩いていくことになる。青空に浮かぶ白い雲と、はるにれの緑のコントラストがいい感じ。
★次の寄り道ポイントは音更にある十勝牧場展望台へ。十勝牧場は正式名称を「家畜改良センター十勝牧場」と言い、牧場と言うよりは試験場のような雰囲気。展望台の高さも然程でもなく、少々拍子抜けな感は否めないのだけれど、それでも草原を見下ろすのは気分がいい。
★西帯広のお気に入りの豚丼専門店「いっぴん」で食事の後、霧の日勝峠を越え、道の駅「樹海ロード日高」で一休み。然程でもないソフトクリームを舐めつつ種々の掲示を見ていたところ、ここからほど近い場所に温泉があることを発見。早速その「沙流川温泉 ひだか高原荘」に向かう。建物はなかなかに立派なのだけれど、浴槽はあまり広くも無く、特に露天が無かったのが残念。そこそこに切り上げて、フロントで富内線の話を聞く。既に年配の職員の方しかご存知なくて、路盤は一部残っているけれど痕跡は殆ど無いとのこと。今のセイコーマート日高店のある場所が日高町駅のあったところですよと聞いたので、早速行ってみる。なるほど、店自体が国道とは平行に建てられておらず、いかにも「それっぽい」配置であるように思われた。
★国道237号線を南下する。旧・富内線の振内(ふれない)駅跡を利用した「振内鉄道記念館」へ。館内の展示は然程でもないのだが、やはりホームが残されているのは嬉しいところ。振内に続いて富内でも「富内銀河ステーション」に立ち寄る。振内と違ってこちらには旧富内駅がそのまま残されているのが嬉しいところだが、反面、ホームの1面が新設されたものになっていて、回りの雰囲気からは少々浮いているのが残念。銀河鉄道999の作者の発案で「空に向かって持ち上げられた」レールというのも外れの方にあったりして、ここもなかなか面白い。
★穂別に着く。思ったよりも大きな町で少々驚く。町立博物館までのルートはすぐに分かり、入館して30分ほど化石類を見学させてもらう。一番の目玉・ホベツアラキリュウは、想像していたよりも少々小さめだったけれど、でもこんなものが海中を泳いでいたのかと思うと、やはり巨大な生物だったのだなとも思う。町立博物館は16時半までの開館で、私が出ると同じぐらいの時刻に閉館。あと30分遅かったら入れないところで、危ないところであった。帰りに町立博物館の展示物の絵葉書を1セット購入。
★今日の宿泊先は、フェリーパックに含まれている「苫小牧プリンスホテル」。狭いしボロいし煙草臭いしとロクなことがないビジネスホテルで、でもセット料金からして只同然なので文句は言わないけれど。
★ここからは覚悟を決めて走りに掛かったのだが、思いの外に早く進める。走っているうちに、どうやら帯広到着が早くなり過ぎるような感じになってきたので、ちょっと寄り道を。
★最初の寄り道ポイントは、ここは観光名所としても結構有名どころの豊頃町「はるにれの木」。十勝川の河川敷に2本寄り沿う形で立ったはるにれの木が2組ぽつんと立っているところで、豊頃町一番の名所になっている。つい2ヶ月ほど前にも訪ねているのだが、その時は辺り一面何も無くて、広い地面の上に幹と枝だけの木が立っていたのだけれど、今回は一面の草原になっていて、その中に出来た踏み分け道を辿って、青々と茂ったはるにれの木まで歩いていくことになる。青空に浮かぶ白い雲と、はるにれの緑のコントラストがいい感じ。
★次の寄り道ポイントは音更にある十勝牧場展望台へ。十勝牧場は正式名称を「家畜改良センター十勝牧場」と言い、牧場と言うよりは試験場のような雰囲気。展望台の高さも然程でもなく、少々拍子抜けな感は否めないのだけれど、それでも草原を見下ろすのは気分がいい。
★西帯広のお気に入りの豚丼専門店「いっぴん」で食事の後、霧の日勝峠を越え、道の駅「樹海ロード日高」で一休み。然程でもないソフトクリームを舐めつつ種々の掲示を見ていたところ、ここからほど近い場所に温泉があることを発見。早速その「沙流川温泉 ひだか高原荘」に向かう。建物はなかなかに立派なのだけれど、浴槽はあまり広くも無く、特に露天が無かったのが残念。そこそこに切り上げて、フロントで富内線の話を聞く。既に年配の職員の方しかご存知なくて、路盤は一部残っているけれど痕跡は殆ど無いとのこと。今のセイコーマート日高店のある場所が日高町駅のあったところですよと聞いたので、早速行ってみる。なるほど、店自体が国道とは平行に建てられておらず、いかにも「それっぽい」配置であるように思われた。
★国道237号線を南下する。旧・富内線の振内(ふれない)駅跡を利用した「振内鉄道記念館」へ。館内の展示は然程でもないのだが、やはりホームが残されているのは嬉しいところ。振内に続いて富内でも「富内銀河ステーション」に立ち寄る。振内と違ってこちらには旧富内駅がそのまま残されているのが嬉しいところだが、反面、ホームの1面が新設されたものになっていて、回りの雰囲気からは少々浮いているのが残念。銀河鉄道999の作者の発案で「空に向かって持ち上げられた」レールというのも外れの方にあったりして、ここもなかなか面白い。
★穂別に着く。思ったよりも大きな町で少々驚く。町立博物館までのルートはすぐに分かり、入館して30分ほど化石類を見学させてもらう。一番の目玉・ホベツアラキリュウは、想像していたよりも少々小さめだったけれど、でもこんなものが海中を泳いでいたのかと思うと、やはり巨大な生物だったのだなとも思う。町立博物館は16時半までの開館で、私が出ると同じぐらいの時刻に閉館。あと30分遅かったら入れないところで、危ないところであった。帰りに町立博物館の展示物の絵葉書を1セット購入。
★今日の宿泊先は、フェリーパックに含まれている「苫小牧プリンスホテル」。狭いしボロいし煙草臭いしとロクなことがないビジネスホテルで、でもセット料金からして只同然なので文句は言わないけれど。